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2006年3月28日 (火)

英語を教えナイト?

小5から英語を必修化 中教審部会が提言
http://www.asahi.com/life/update/0327/005.html

 小学生に英語を学ばせるかどうかについて検討してきた中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の外国語専門部会は27日、5年生から週1時間程度を必修化する必要がある、との提言をまとめた。社会のグローバル化の進展に加え、すでに小学校でゲームや歌などを通じて英語に触れる「英語活動」が9割以上の公立小学校で実施されている実情を踏まえた。
 同部会は31日に、この提言を上部機関である教育課程部会に報告する。ただ、中教審全体では、小学校から英語を教えることについて、「他の教科をしっかりやった方がいい」「国語の習得が先ではないか」などの異論を唱える委員もいる。文科省は、中教審での今後の議論や世論の動向を踏まえ、実際に導入するかについて検討する方針だ。導入する場合には、現在改訂作業を続けている学習指導要領の実施時期に合わせる案が有力で、移行期間を含めて4〜5年先になる見通しだ。

 まあ、制度が実態を後追いしたにすぎないから、とくに大きなニュースだとは思わないが、週一時間程度のお遊びであれば、さほど悪影響もないだろう。それが英語である必要があるかどうかは疑問だが、外国語を学ぶのは“世界の切り取りかた”に関して“発想の可動域”とでも言うべきものを拡げるということであるから、知的にとてもよいことだ。大いにやったんさい。

 だが、思うに、「国語の習得が先ではないか」という意見にはうなずける。五年生まで日本語で育っているのなら「先」もへったくれもないだろうから、「母国語の習得を英語よりもずっと重視しろ」とおれは言いたい。英語を週一時間新たに教えるようにするのなら、週二時間、国語を増やせ。

 だいたい、週一時間ってのは、あまりにも中途半端ではないか? そんな申しわけ程度の時間でなにをやろうというのだ? 幼稚園じゃあるまいし、英語でゲームをしたり歌を唄ったりって、そんなことが五年生にもなった日本の子供たちのなんの役に立つ? そもそも、日本語でゲームをしたり、日本の歌を唄ったりさせているのかね? それこそ、そっちが先だと思うね。五年生はみんな竹馬に乗れるのか、独楽を回せるのか、凧が上げられるのか、鶴が折れるのか、あやとりやお手玉ができるのか? 五年生はみんな「赤蜻蛉」が唄えるのか、「花」が唄えるのか、「海」が唄えるのか、「故郷」が唄えるのか? 唄えるというのなら、Sing a Song of Six Pence でも Hickory Dickory Dock でも Three Blind Mice でも One, Two, Buckle My Shoe でも「検察側の証人」でも『ABC殺人事件』でも「クックロビン音頭」でもなんでも唄わせるがいい。

 五年生にもなってそんなチーチーパッパを英語でやるくらいなら、理科を英語で教えろ。全部とは言わん。日本語での授業のあいまに、「ものが燃えるのには酸素が必要です」、「デモクリトスという古代ギリシャの学者は、ものをどんどん細かく分けてゆくとこれ以上分けられない粒にたどりつくはずだと考えました」と、外国語指導助手に英語で言わせろ。社会の授業で、英語が書かれた身のまわりのものを持ち寄らせて、どういうことが書いてあるのか、推測させ、調べさせろ。それから外国語指導助手(まさかアメリカ人ばかり、白人ばかりじゃないだろうな?)がそれを読んでやれ。そんなに英語が重要だと国が認めるのであれば、ほかのあらゆる授業にも、ちょびっとずつ英語を混ぜろ。社会に出れば、それがあたりまえなのだ。

 英語が大事だ大事だと口先ばかりで危機感(?)を煽るのなら、なぜ英語を“切り離して”教えようとする? 以前に大学入試について似たようなことを書いたが、英語そのものを飯のタネにする人間は、ほんのひとにぎりだけだ。大部分の人は、なにかをするために英語が必要になるのである。まるで英語でやればチーチーパッパのお遊戯でも高級なものであるかのような教育をするよりも、中国語をペラペラしゃべっている福原愛や、イタリア語をペラペラしゃべっている中田英寿の姿でも見せるほうが、よっぽど教育的だとおれは思うのだがどうか。「ああ、自分がやりたいことをやるのに必要なら、外国語も勉強しなくちゃいけないんだ」と、子供が心から感じてくれたら、もうそれで外国語教育は成功したも同然ではないだろうか?

 え、おれ? おれは英語、好きだからさ、『セサミストリート』を食い入るように見てたさ。外国人に「どこで英語を学んだのか?」と訊かれたら、"I learned it on Sesame Street."と答えることにしているくらいだ。マザーグースだって広告コピーだってエロ本だって、わざわざせっせと“お勉強”したさ。挙句の果てには、英米文学科を出たさ。日本語で手に入らない本、日本語で読みたくない本は英語で読むさ。英語圏の映画は副音声だけで観るさ。でもな、おれはただ英語が好きなんであって、アメリカ人になりたいわけじゃないのだ。

 “国際人”とやらいうわけのわからないものを作ろうとして、根なし草を作ってはならない。そこんところをちゃんと踏まえてくれるのなら、英語の早期教育も悪くはないだろう。



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