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2006年3月12日 (日)

ユカナ*ハルナとマナカナのちがい

 「ユカナ*ハルナのスイートマジック」というポッドキャストがはじまっているのをうっかり見つけてしまい、うっかりiTunesに登録してしまい、うっかり聴いてしまう。声優のゆかな池澤春菜が掛け合い漫才(?)みたいなものをやっている。この二人はじつによく声が似ていて、ユカナ*ハルナというよりは、マナカナのようだ。なにしろ、二人ともああいうおもちゃ声であるからして、掛け合いを聴いているとなにやら尻の穴がこそばゆ〜くなってくる。それが声フェチにはまた快感だったりするわけだが……。ま、なかなかいいコンビじゃないすか。

 ひとつもの足りないのは、ふつうホモ・サピエンスが二人でしゃべっていると、「そんなアホな」「ええかげんにせえ」「やめさしてもらうわ」などのやりとりが当然の礼儀として交わされるものなのだが、ユカナ*ハルナの場合は、そういうことはない。そのあたりがまあ、マナカナとちがうところやな。

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コメント

|ひとつもの足りないのは、ふつうホモ・サピエンスが二人でしゃべっていると

 いっつも思うんですけど、チューリングテストなんてのは、欧米文化の枠内からでていない発想だと思うんですよ。チューリングが中国人なら知性体なら詩を諳んじねばならないと言ったでしょうし、インディアンなら嘘を吐かないで判断する。
 アラン・チューリングがこてこての関西人ならボケとツッコミで知性の有無を判断したでありましょう。

投稿: 林 譲治 | 2006年3月12日 (日) 23時05分

>林譲治さん
>チューリングテストなんてのは、欧米文化の枠内からでていない発想だと思うんですよ

 私もそんな気がします。というか、“知性”という言葉は、それ自体がトートロジーなんじゃないかと。知性Aが「Bには知性がある」と判断するのは、単にBの中にある自分の知性を鏡像のように見ているだけなんじゃないかと思いますね。「知性があると自分で思っている存在が、自分に理解できる情報処理形態を知性と呼んでいる」だけみたいな。

投稿: 冬樹蛉 | 2006年3月12日 (日) 23時50分

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