選ばれし者
毎週観ている『仮面ライダーカブト』のオープニング曲に、「選ばれし者ならば」という歌詞が出てくる(本篇にも玩具のCMにも出てくる)。最初に聴いたとき、「ああ、またか……」と思ったね。
いったいいつのころからだろう、やたら“選ばれし者”が幅を利かすようになってきたのは? どうも近年のフィクションにやたら多いのだ、主人公とか重要なキャラクターとかが、本人の意思とはあんまり関係なく、何者かに選ばれてそこにあるという設定が。
まあ、たしかに現実の世の中でも、才能の有無やら生まれた家の貧富やらなにやらかにやらは、本人の責任とは関係なく暴力的に降ってくるものではあるが、むかしのフィクションの主要キャラクターは、どちらかというと、“選ばれていない”ということに立ち向かってゆくケースが多かったように思う。まあ、その結果、なにか特殊な力や立場を手にすることができたのなら(できないと、ドラマにならない)、それはやっぱり“選ばれていた”のだという解釈もできるんだけども、最初から“すでに選ばれてしまっている”ことを意識していたりしたら、それはヒーロー、ヒロインらしくないと社会も感じていたのではなかろうか。
ところが、近年は、妙に“選ばれし者”がカッコいいという空気になってきている。おれなんかは、誰かに無条件で与えられた能力を使って前世から決まっていた運命をなぞってゆくだけのようなキャラクターにはなんの魅力も感じないのだが、最近の子供や若者はそうでもないのかもしれないよなあ。フィクションにも、いわゆる“格差社会”の空気が影響しているのだろうか?
そもそもおれは思うのだが、“選ばれし者”ってカッコいいか? “選ばれし者”と言うとなにやら神話的な響きがあるが、“エリート”という言葉の原義は、まさに“選ばれし者”だ。要するに、受け身なのである。“選ばれし者”は、どんなに背伸びしても、しょせん“選んだ者”の価値観に寄りかかり、それによって縛られている存在にすぎない。そんなものがカッコいいとは、おれにはどうしても思えないのだよな。おれがカッコいいと思うのは、“己を選ぶ者”だ。選ぼうとするやつが神であろうが権力者であろうがなんであろうが、そいつらの選択基準をどこ吹く風と撥ね退けて、常に己を選ぼうとするやつである。ヒーロー、ヒロインには、そうあってほしい。それは現実ではたいへん困難なことであるからこそ、せめてフィクションの世界では、そういうヒーロー、ヒロインに活躍してほしいのだ。
ま、こういう感性自体が、すでに爺さんなのかもしれませんけどねー。
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コメント
そう捨てたもんでもないですよ。自分の道を選ぶヒーローもけっこういます。
例えば、月刊マガジンZ連載の「エイトマン インフィニティ」の主人公は人類を代表する真のエリートを自認する敵に対し、たからかに「選ばれなくていい」と宣言しちゃったりしてます。
投稿: 東部戦線 | 2006年3月19日 (日) 17時29分
私も選ばれし者です。農家の長男ですから。
投稿: 選ばれし者 | 2006年3月19日 (日) 17時53分
そもそも仮面ライダーは、誘拐されて改造されてしまうという「不幸にも選ばれてしまった」ヒーローだと思うのですが。
そういえばサイボーグ009(誘拐)とか初代のウルトラマン(衝突事故)とかそうだったかと。
投稿: いかなご太郎 | 2006年3月19日 (日) 18時10分
「あなたは選ばれたので至急登録してください」というメールなら毎日届きますが……。
最近TVをみたいないので、ヒーローのことはよくわかりませんが、一つ気になるのは「選ばれた」ヒーローは、選ばれたという結果を受容していると思うのですが、それに伴う「業」やら「責任」はどう受け止められているんでしょう。
投稿: 林 譲治 | 2006年3月19日 (日) 18時42分
> それに伴う「業」やら「責任」
「ネクサス」の場合、不幸にしてウルトラマンに憑依されてしまった人は怪獣に立ち向かってぼろぼろにやられたり、倒れたところを怪獣やっつけ隊に捕まって人体実験の末、心停止したり、結構ヒーローとしての業は受けていたと思います。
> 選ばれしもの
「選ばれしもの」が受けるのは、つまり「前世戦士」と同じで、「すでに大成が約束されているので、これから努力しなくてもいい」という立場に魅力を感じるからではないでしょうか?
投稿: 小林泰三 | 2006年3月19日 (日) 21時32分
銀のさじ加えた主人公という意味ではハリー・ポッターあたりから目立ちだしたように思います。
ハリー・ポッターは普通の子供だったはずが両親が有名な魔法使いだった、という設定ですから。それを聴いた途端に私はハリポタを読む気が失せました。
投稿: 松浦晋也 | 2006年3月19日 (日) 23時36分
私はエヴァンゲリオンあたりから気になってました。「巨大ロボが操縦できて両手に美少女で、このうえ何を悩むかねえ」とF書房のS沼さんも言ってました。「だからいまどきの若者はなってない」という結論にとびつくことはしませんけど。
ウルトラマン等の「不幸にも選ばれてしまった」は、つまり巻き込まれたのであって、選ばれたのではないのでは。
投稿: 野尻抱介 | 2006年3月20日 (月) 00時20分
わわ、えらく反響が大きいですね(^_^;)。やっぱりそういうふうに思っている人は少なくないのか。
微妙なのはですね、“選ばれる”のと“選ぶ”のとは本質的に紙一重みたいなところがあるでしょう。観測問題や人間原理にも似たような。
たとえば、本郷猛は頭脳明晰・スポーツ万能だからと、ある意味ショッカーに選ばれちゃったエリートなわけですが、本郷猛にしてみれば、それは不条理以外のなにものでもないわけです。ですが、不可逆的にバッタ男にされてしまった彼は、その後の己のありかたを積極的に選んで不条理に立ち向かっている。彼にしてみれば、脳改造されようがされまいが、もうまともな人間に戻れないような“選ばれかた”をしているのだから、ショッカーに入っちゃったほうが楽でいいという選択肢もあったはずなんですよね。でも彼は、仮面ライダーとしての己を選ぶわけで、本郷猛はバッタ男としてのエリートの道を捨てて、仮面ライダーとしてあくまで“選ぶ”側に立ち続けることで、ヒーローとしてある。ここいらへんが、子供にも不可逆的な過酷な運命に立ち向かうカッコよさとして映ったのだろうと思うわけです。そういう意味では、スパイダーマンなんかは、私にもよくわかるヒーローですね。
選ばれたことに甘んじないで選ぶというダイナミズムの中に立ち現れるヒーロー性というのが、むかしはマジョリティーの共感を得たんでしょう。いまはちょっとよくわからんです。「自分が選ばれし者だったらいいな」という感情移入のしかたをするのでしょうかね? 読んでいる人、観ている人が、みんな自分を“選ばれし者”に重ねているのだとしたら、ちょっと気色悪いというか……。
私は「仮面ライダーのようであれたらいいな」と思ったことはあっても、「仮面ライダーのような運命をなぞりたい」とは思わなかったです。両者は似ているようで、全然ちがいますよね。
投稿: 冬樹蛉 | 2006年3月20日 (月) 01時36分
>東部戦線さん
『エイトマン インフィニティ』ってのは読んだことないのですが、ググってみたら、おや、七月鏡一さん原作でしたか。デビューしたてのころに、ときどきFSFのチャットに来てらしたですよね(^_^;)。懐かしい。
投稿: 冬樹蛉 | 2006年3月20日 (月) 02時42分
トラバさせていただきました!
二重になってしまってすみません(>_<;
投稿: バン | 2006年3月22日 (水) 01時20分
>バンさん
>二重になってしまってすみません(>_<;
どもども、ありがとうございます。ココログの反応が遅くて、二重、三重になってしまうこともけっこうあるようです。ひとつ消して、トラバ返ししておきました(^_^)/。
トラバれし者……いや、ちょっと言ってみたかっただけです。
投稿: 冬樹蛉 | 2006年3月22日 (水) 01時46分
ありがとうございます^_^
前世からの使命も選ばれし者ですよね。
セーラームーンなんか、そう。
トラバれし者、いいですね(笑)
投稿: バン | 2006年3月22日 (水) 12時06分