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2006年3月の40件の記事

2006年3月30日 (木)

リスクアセスメント

 団地のおれの住んでいる棟の掲示板に、手書きのハリガミがあった。ここいらはなにしろ年寄りばっかりだから、手書きなのはいっこうに珍しくない。ワープロだったら珍しいと感じるくらいだ。それはともかく、問題は内容であった――

 最近、棟の裏に煙草の吸いがらや生ゴミが落ちています。不衛生ですので、絶対にやめてください。

 ちょっ、ちょっと待て。それって、リスク評価がビミョーにズレてないか? ここいらはなにしろ年寄りばっかりだから、最初の文の後半を書いているうちに、前半のことを忘れてしまったのか。少なくとも、生ゴミは枯れ草や紙くずに燃え移ったりしないと思うのだが……。

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毎年口ずさむ条件反射

 ♪フランシーヌの場合は~、あまりにーも、おばかさん

 古くてすまん。三月三十日が来ると、知らずしらず口ずさんでしまうのよ、おじさんは。おれは子供のころに大流行したこの歌の意味が当時はよくわからず、フランシーヌとは誰かも知らず、ただただメロディーが美しいのと、「おばかさん」という語感が印象に残ったのとで、しょっちゅう唄っていた。まわりの子供もみんな唄っていた。

 焼身自殺しなくても、おのれの考えるところを世界に向けて発信できる媒体をおれたちはいま手にしているし、多少の壁はあるにしても、大部分の人が手にし得る。してみると、エアカーがビルの谷間を飛び交っていなくても、やっぱり曲がりなりにも二十一世紀なのだな。

 まあ、そんな夢のような媒体をおれのように使っていたのではバチが当たるかもしれんが、少なくとも、フランシーヌ・ルコントや新谷のり子という名を、このアホ日記でいま知った若い人がいるなら、それはそれでテクノロジーも捨てたもんじゃないだろう。

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出でよ、シルバー世代のアイドル・ブログ!

ブログをやって欲しいと思う有名人ランキング! (ORICON STYLE)
http://www.oricon.co.jp/news/ranking/16845/

 うーむ、それにしても眞鍋かをりは強いなあ。そういうおれもRSSが出たらすぐ読みにいくけどね。なんというかですね、眞鍋かをりという人のテンションというか波長というか存在様態というか、まあとにかくそんなようなものがですね、ブログという媒体の特性に絶妙にフィットしているからなんでしょうな。

 人間の心の闇とか重大な社会問題とかを大論文のような日記でしょっちゅう読まされたらしんどいし、かといって、「そんなこと、あんたの身内や友人以外の人が読みたがると思うか?」と突っ込みたくなるような“ほんとうの日記”を読まされたら、これまたしんどい。重すぎず軽すぎず、パブリックすぎずプライベートすぎないという絶妙の間合いを眞鍋かをりは見切っていて、素の自分のさらけ出しかたに読者へのサービス精神と藝がある。これはなかなか、できそうでできない。思うに、眞鍋かをりは、ブログが登場する以前から、そもそもブログ的な人間であったのだろう。みのもんたがテレビという媒体そのものの化身であるかのようにそこにいるのと同じく、時代は“眞鍋かをりのような媒体”としてブログを生み出したのかもしれない。あ、いかん、なにを評論家のようなことをほざいておるのか。

 それはともかく、だ。このアンケートの「今後、ブログをやって欲しいと思う好きな有名人は?」という設問に対する結果が、あまりにも偏っていてつまらないなあ。まあ、回答者の層が最初から偏っているんだろうけどね。

 好きかどうかは別として、ブログをやってほしいと思う有名人なら、そうだなあ……原節子とかどうだろう? 富司純子とか梶芽衣子とか松原智恵子とか由美かおるとか酒井和歌子とか志穂美悦子とか山口百恵とかがブログを書いたら、爆発的に話題にはならないかもしれないが、安定した固定読者がそれぞれにつき、彼女らを新鮮に感じて再発見する若年層も現れるような気がする。なにより、中高老年層がインターネットという媒体をぐっと身近に感じ、かなりの経済効果も生むのではなかろうか。

 「この歳になって原節子の日記が読めるとは、夢のようじゃ、長生きはするもんじゃあ。よし、わしもやるぞ。ブログをやる。原節子の日記に、この“虎婆”とかいうのをするのじゃ」などと、孫に教えられながらがんばってる爺さんってのも、なかなか前向きでいいと思うね。眞鍋かをりが婆さんになるころには、そんな爺さん・婆さんがあたりまえになるだろうけどさ。

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2006年3月29日 (水)

カカオの呪い

 ときどきチョコレートの一気食いをしたくなることがあって、今日たまたまコンビニで見かけた「カカオの恵み<85%CACAO>」という板チョコを、風呂上りに一枚ばりばりと一気に貪り食ってしまった。晩飯を食ったあとに、妹が持ってきたチーズケーキを食ったというのにだ。よい子のみんなは真似しちゃダメだよ。鼻血出るよ。

 かなり強力なビターチョコで、なかなかおれの好みに合う。しかし、カロリーも強力で、一枚でなんと495キロカロリーである。二枚も食えば、充分晩飯になる。せっかくこのところ体脂肪率が20パーセントを切っているのに、こんなことをしていては元の木阿弥だ。ここ数時間のあいだに、ふだんの一日ぶんくらいのカロリーを摂ってしまったではないか。まあ、たまにはこういう無茶をしなければ、生きている楽しみもないというもんだ。また明日から、体脂肪率15パーセントをめざして、筋トレと有酸素運動を替わりばんこに、適当に気長にがんばろう。

 凡人にとっては、なにごとも結局は細々とでも続けることが肝要なのであって、がんばりすぎると続かないから失敗するのだ。一時の気の迷いで爛れた欲望の嵐と忘我の悦楽に身を委ねることも、時には必要なのである。時には、だが。

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2006年3月28日 (火)

スタニスワフ・レム死去

Stanislaw Lem (1921-2006) (SFWA)
http://www.sfwa.org/news/2006/slem.htm

「惑星ソラリス」原作者 スタニスワフ・レムさん死去 (asahi.com)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0328/001.html

ポーランドSF作家のスタニスワフ・レム氏死去 (Yahoo!ニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060328-00000002-jij-int

 大往生と言えるだろうが、巨星中の巨星だけに、またひとつの時代が終わったかと思うと、そこはかとなく寂しい。おれ自身も歳を食ったのだなあと、改めて感じさせられる。ほんとの『天の声』になっちゃったんだなあ。

 今夜は、バッハの「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」を聴きながら寝るか。レムはあの『惑星ソラリス』って映画、嫌いだったろうけどね。

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十二人どころではない呆れる男

 いやあ、ひさびさに大爆笑した。最高裁には同じような電話がさぞやたくさん入ったろうなあ。

最高裁判所が電話してというので電話した (高木浩光@自宅の日記
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20060323.html

ボツネタ日記の「新しい裁判所のHPにリンクを貼ったときは,その旨を電話で連絡しなければならないようです。」というエントリを見て、裁判所Webサイトがリニューアルしたのを知った。
リニューアルした裁判所Webサイトには新たにプライバシーポリシーのページができていたのだが、その内容に誤りがあるため、それについてメモをとった。
裁判所Webサイトにリンクしたときは電話で連絡するよう留意せよとのことなので、出勤前の朝10時ごろ、指定されている最高裁判所事務総局広報課の番号に電話した。

 まったく、“ポリティカル・デジタル・ディバイド”だけではなく、“ジューディシャル・デジタル・ディバイド”もあるのか。

 Google に洒落のわかる人がいたら、ぜひこういう電話をしてほしかったのに――

Google社員 「裁判所Webサイトに、うちのシステムが勝手にリンクを設置してしまいました。その場合電話せよとのことなので電話しているところなのですが」

最高裁判所 「アドレスを教えていただけますか?」

G:「URLのことですか?」

裁:「はい」

G:「えいちてぃーてぃーぴーころんすらっしゅすらっしゅ、ななにーどっと、いちよんどっと、にーれいさんどっと、いちれいよんすらっしゅ、えすいーえーあーるしーえいちくえすちょんまーく、きゅーいこーるしーえーしーえいちいーころん……

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英語を教えナイト?

小5から英語を必修化 中教審部会が提言
http://www.asahi.com/life/update/0327/005.html

 小学生に英語を学ばせるかどうかについて検討してきた中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の外国語専門部会は27日、5年生から週1時間程度を必修化する必要がある、との提言をまとめた。社会のグローバル化の進展に加え、すでに小学校でゲームや歌などを通じて英語に触れる「英語活動」が9割以上の公立小学校で実施されている実情を踏まえた。
 同部会は31日に、この提言を上部機関である教育課程部会に報告する。ただ、中教審全体では、小学校から英語を教えることについて、「他の教科をしっかりやった方がいい」「国語の習得が先ではないか」などの異論を唱える委員もいる。文科省は、中教審での今後の議論や世論の動向を踏まえ、実際に導入するかについて検討する方針だ。導入する場合には、現在改訂作業を続けている学習指導要領の実施時期に合わせる案が有力で、移行期間を含めて4〜5年先になる見通しだ。

 まあ、制度が実態を後追いしたにすぎないから、とくに大きなニュースだとは思わないが、週一時間程度のお遊びであれば、さほど悪影響もないだろう。それが英語である必要があるかどうかは疑問だが、外国語を学ぶのは“世界の切り取りかた”に関して“発想の可動域”とでも言うべきものを拡げるということであるから、知的にとてもよいことだ。大いにやったんさい。

 だが、思うに、「国語の習得が先ではないか」という意見にはうなずける。五年生まで日本語で育っているのなら「先」もへったくれもないだろうから、「母国語の習得を英語よりもずっと重視しろ」とおれは言いたい。英語を週一時間新たに教えるようにするのなら、週二時間、国語を増やせ。

 だいたい、週一時間ってのは、あまりにも中途半端ではないか? そんな申しわけ程度の時間でなにをやろうというのだ? 幼稚園じゃあるまいし、英語でゲームをしたり歌を唄ったりって、そんなことが五年生にもなった日本の子供たちのなんの役に立つ? そもそも、日本語でゲームをしたり、日本の歌を唄ったりさせているのかね? それこそ、そっちが先だと思うね。五年生はみんな竹馬に乗れるのか、独楽を回せるのか、凧が上げられるのか、鶴が折れるのか、あやとりやお手玉ができるのか? 五年生はみんな「赤蜻蛉」が唄えるのか、「花」が唄えるのか、「海」が唄えるのか、「故郷」が唄えるのか? 唄えるというのなら、Sing a Song of Six Pence でも Hickory Dickory Dock でも Three Blind Mice でも One, Two, Buckle My Shoe でも「検察側の証人」でも『ABC殺人事件』でも「クックロビン音頭」でもなんでも唄わせるがいい。

 五年生にもなってそんなチーチーパッパを英語でやるくらいなら、理科を英語で教えろ。全部とは言わん。日本語での授業のあいまに、「ものが燃えるのには酸素が必要です」、「デモクリトスという古代ギリシャの学者は、ものをどんどん細かく分けてゆくとこれ以上分けられない粒にたどりつくはずだと考えました」と、外国語指導助手に英語で言わせろ。社会の授業で、英語が書かれた身のまわりのものを持ち寄らせて、どういうことが書いてあるのか、推測させ、調べさせろ。それから外国語指導助手(まさかアメリカ人ばかり、白人ばかりじゃないだろうな?)がそれを読んでやれ。そんなに英語が重要だと国が認めるのであれば、ほかのあらゆる授業にも、ちょびっとずつ英語を混ぜろ。社会に出れば、それがあたりまえなのだ。

 英語が大事だ大事だと口先ばかりで危機感(?)を煽るのなら、なぜ英語を“切り離して”教えようとする? 以前に大学入試について似たようなことを書いたが、英語そのものを飯のタネにする人間は、ほんのひとにぎりだけだ。大部分の人は、なにかをするために英語が必要になるのである。まるで英語でやればチーチーパッパのお遊戯でも高級なものであるかのような教育をするよりも、中国語をペラペラしゃべっている福原愛や、イタリア語をペラペラしゃべっている中田英寿の姿でも見せるほうが、よっぽど教育的だとおれは思うのだがどうか。「ああ、自分がやりたいことをやるのに必要なら、外国語も勉強しなくちゃいけないんだ」と、子供が心から感じてくれたら、もうそれで外国語教育は成功したも同然ではないだろうか?

 え、おれ? おれは英語、好きだからさ、『セサミストリート』を食い入るように見てたさ。外国人に「どこで英語を学んだのか?」と訊かれたら、"I learned it on Sesame Street."と答えることにしているくらいだ。マザーグースだって広告コピーだってエロ本だって、わざわざせっせと“お勉強”したさ。挙句の果てには、英米文学科を出たさ。日本語で手に入らない本、日本語で読みたくない本は英語で読むさ。英語圏の映画は副音声だけで観るさ。でもな、おれはただ英語が好きなんであって、アメリカ人になりたいわけじゃないのだ。

 “国際人”とやらいうわけのわからないものを作ろうとして、根なし草を作ってはならない。そこんところをちゃんと踏まえてくれるのなら、英語の早期教育も悪くはないだろう。



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2006年3月27日 (月)

めげるウルトラマン

 風呂に入りながら、《ウルトラマン》シリーズの主題歌を片っぱしから鼻歌で唄っていたら(みんな、よくやるでしょ? やるって言って)、あるところで愕然とした――

 「♪うーるとらまん、えいてぃー、うーるとらまん、え……」

 いてぃー!? こ、この「80」って、ひょっとして1980年の「80」だったよな。それ以外のなんだというのだ? てことはなにか、『ウルトラマン80』から、もう丸二十五年経っているというのか!? あたりまえだが、改めて驚いた。『ウルトラマン80』なんて、つい昨日のウルトラマンのように思われるのだが……。おれも歳を食ったのだなあ。

 まあ、思えば、『Gメン’75』ってのも、話に出るたび愕然としているよなあ。わかりやすくていいことはいいのだが、テレビ番組のタイトルに年を入れるの、やめにしませんか? なんか、めげるわ。

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2006年3月26日 (日)

カエルの声で遊ぶ

 ぼーっと考えごとをしたりするときなどに愛聴している『「声の図鑑」蛙の合唱 山渓CDブックス[6]』(録音・蒲谷鶴彦・前田憲男/写真・前田憲男/山と渓谷社)付属のCD(といっても、iTunesにぶちこんである)なんだが、今日聴いていて、ひとつ遊びを開発した。

 カエルの声なんだから、なんの加工もせずに聴くのが本筋であろうという狭量な決めつけを、おれはいままでほとんど意識することもなくしていたのだけれども、どのみちCDになっている時点で、“ナマの自然の音”なんてものではあり得ないわけだ。じゃあ、というわけで、戯れに iTunes のプリセットイコライザをカエルの声にかけてみたら、これがけっこう面白いことに気づいた。Acoustic をかけると、渓流で聴いているような臨場感が出る。とくに、複数の種類のカエルがいっせいに鳴いている野外録りなどでは、なかなかいい感じだ。Vocal Booster をかけると、粒立ちがよく、目の前でカエルが鳴いているかのような声になる。一匹一匹、一種一種の声を楽しむのに向いている。そりゃまあ、一応ヴォーカルといえばヴォーカルだしなあ。

 カエルの種類によっても、合うイコライザ設定と合わない設定とがある。カジカガエルニホンカジカガエルモリアオガエルニホンアカガエルなどには、Treble Booster が効果的で、じつに美しい。ウシガエルには、むろん Bass Booster がよく、重低音がたまらない。トノサマガエルトウキョウダルマガエルには Pop が合うのに、なぜかダルマガエルには R&B が合うように感じられる。ツチガエルには Hip-Hop が、ニホンアマガエルには Classical が合う。発声時間が短いため、はっきりとしたちがいは聴き取りにくいのだが、ちょっと変わりダネのオットンガエルには、Electronic が適しているような気がする。

 加工したほうが、より“自然らしさ”が出るってのも、人間の認識という営為について考えさせられ、なかなかに興味深いものである。カエラーの方は、ぜひ一度お試しあれ。

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パペット・マペットが新CMに?

 資生堂の男性化粧品ブランド「UNO」のCMが好評のパペット・マペット氏を、「ぜひわが社のCMにも」と、アデランスアートネイチャーが奪い合っている

 ……わけねーだろ。ジョーク、ジョーク(;^_^)/。

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赤江のタマちゃんが帰ってくる

 テレビでおなじみの紀藤正樹弁護士のブログに、赤江珠緒アナウンサー(朝日放送)が登場。そうか、この春から帰ってくるんだよなあ、赤江アナ。なんちゅうか、赤江アナが東下りしたそもそもの事情はみなさまご存じのあれやこれやであったから、急な話でなにかとたいへんであったろうけど、いまではすっかり全国の朝の顔として親しまれているもんなあ。たいしたものだ。お務めご苦労さまでありました。

 紀藤弁護士は残念がってらっしゃるが、関西人としては喜ばしいことなのである。あの明るい“タマちゃん”がローカル番組に帰ってくるのだ(ちなみに、“タマちゃん”は、アザラシの「タマちゃん」と同じように発音してはならない。こちらでは、ピストルの「弾」と同じアクセントで発音する)。おれたちにとっては親しみ深い朝日放送のアナウンサーが突然全国区の超メジャー番組に抜擢されたことは、なにやら地元の高校が甲子園に出たような感じで、ただの一視聴者としてもそれはそれで嬉しい気持ちはあったのだけれども、反面、関西ローカルの貴重な戦力を奪われたようで残念でもあった。全国ネットの朝の報道番組では、関西の深夜番組のようにあまり羽目を外すわけにもいかないだろうから(あたりまえだ)、関西ノリの“タマちゃん”が観たい人は寂しい思いをしていたにちがいない。「しかしなあ、珠緒ちゃんは東京行きかあ。寂しいなあ。娘を嫁がせる父親の心境、というほどのものではないんやけれどね」などと強がっていた、とくに名を秘す喜多哲士さんという人を知っている。

 「安全カッター」を紹介していて手を切った赤江アナ、おかえりなさい。関西はタマちゃんを待っているぞ。

 さあ、あとは、おれとしては、育児休暇中のわれらが鳥木千鶴アナの復帰を待つばかりだな。

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2006年3月25日 (土)

肥った白雪姫のストレンジャー

 むかしからずっと思っているんだが、天地真理「水色の恋」って、シナトラStrangers in the Night のパクリだと思わないか? いやまあ、パクリと言って人聞きが悪ければ、「インスパイアされている」とでも言おうか。というのは、おれは携帯オーディオプレーヤーに、バリー・マニロウStrangers in the Night を入れていて、夜中に駅から歩いて帰るときなど、この曲のイントロが流れはじめると、頭の中でほとんど自動的に「さよならの〜言葉さ〜え〜言えなかったの〜」と唄ってしまうからなのだった。なんかこう、曲全体のノリが似てますわなあ。荒川静香と前田健くらいには……いや、それ以上に似てると思う。

 ちなみに、いろんな人が Strangers in the Night を唄ってるけど、バリー・マニロウのバージョンが、おれはいちばん好きである。彼の声質のためにあるような曲でしょう? あの、移調して盛り上げるところなんか、ぞくぞくキますな。

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2006年3月24日 (金)

『CLEAN ROOM』で韓英恵に開眼

 GyaOで、短篇映画『CLEAN ROOM』を観る。三十分ほどの小品で、無菌室に閉じこもる少女が、やがて世界へと開かれるさまを幻想的に描く、なかなかさわやかな作品。おれはもちろん麻生久美子目当てでなにげなく観たわけであるが、のっけに手塚眞がいきなり出てきてびっくりした。俳優としての手塚眞を映画で観るのはひさしぶりだ。『俗物図鑑』『ねらわれた学園』以来である。あ、よく考えたら、このふたつって大林宣彦つながりだな。

 それはともかく、麻生久美子はもちろんよかったのだけれども、主役の少女を演じる韓英恵ってコにすっかり魅入られてしまった。いわゆる“美人”ではなく、どっちかというと突き放した感じを与える顔立ちだが、目で演技ができる空恐ろしい少女である。調べてみると、おれが不勉強なだけで、もうけっこう有名な人なのね。どっかで見たことあるなあと思ったら、幻冬舎の桜井亜美本の表紙に何度か登場しているのか。そりゃ、見たことくらいあるはずだ。例の柳楽優弥クンの快挙で話題になった『誰も知らない』に出てたのか。そういえば、そうだそうだ、テレビの報道で何度か見かけたような気がするなあ。そのうちどっかで映画もちゃんと観よう。

 いやあ、いいね、韓英恵。目がいい。そのうち、いいホラーを演ってほしいな。木村多江様みたいになるかも。二十代前半あたりで、ぜひ『女囚さそり』を……って、女優の目が気に入ったら、こればっかりだな、おれ。

 『CLEAN ROOM』、GyaOでは四月六日まで。

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2006年3月23日 (木)

前田健に座布団三枚

 いつものように帰宅してコンビニ弁当食いながらテレビを観ていた。水曜日は『トリビアの泉』の録画を観ながら飯を食うのが習慣になっているのだが、今週は『トリビアの泉』がない。だもんで、あちこち適当にチャンネルを替えていたら、荒川静香が出てきた。だが、おかしい。スケートが下手だ。横に太い。全体に大ぶりである。なんだこれはと思い、よくよく見ると前田健だった。ものまねの特番なのだ。しっ、しかし、これは似ている。いや、似ていないが、おれの脳のパターン認識の働きがうまく騙されているような感じである。似ていないが、とても似ている。なにを言ってるんだ、おれは。

 先日、荒川静香と片桐はいりは同系の顔だなどとほざいていたけれども、前田健とは盲点だったなあ。たしかに、前田健と片桐はいりはどう見ても同系の顔だから、前田健が荒川静香をやってもまったく不思議ではない。というか、前田健はオリンピック中継と鏡を交互に見ながら「しめたっ」と思ったにちがいない。これだけ似てないのに、脳は「似てる」と反応しちゃうんだから、まことパターン認識とは不思議なものである。荒川静香と前田健とでは、ロマネ・コンティとメルロ=ポンティくらいちがうんだが……。いや、ロマネ・コンティとネグロポンテくらいちがうかもしれん。

 だけどこの前田健のものまね、荒川静香本人が観てたら怒るよな。たぶん、爆笑しながら。

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2006年3月22日 (水)

このブログの全文検索窓をつけてみた

 このブログ用に、いい全文検索ツールがないかなと探していたら、「暴想」というブログを運営なさっているなおゆきさんという方が、とてつもなく便利なものを去年の秋に公開してらっしゃるのを見つけた。「自分のココログを全文検索するJavaScript」というのがそれである。ここ一年ばかりのあいだに急速に普及しはじめたAjax(Asynchronous JavaScript + XML)を駆使している。なるほどねー、こういう使いかたもあったか。

 さっそく、このブログの右ペイン上部のカレンダーの下に、なおゆきさんのスクリプトを使った全文検索窓をつけてみた。おおお、これは便利。一度めの検索ではロードに時間がかかるが、二度め以降はAjaxの本領発揮である。サーバとはやりとりしていないわけだから、稲妻のように速い。読んでくださっている方も便利になるだろうが、なによりおれにとって便利だ。

 おれも遅ればせながら「Googlemap」で初めてAjaxなるものを知ったクチだが(「どうやってるんだ、これ〜!?」と仰天した)、それ以降の普及のスピードには怖るべきものがある。「mixi」もなかなかうまい使いかたしてるしね。これって、アイディア勝負みたいなところがありますな。いや、おれは開発技術者じゃないからコードは書けないけどね。いろんな使いかたのアイディアが次々出てくるのをウォッチしているのは面白い。

 「デスクトップの機能をネットワークが吸い取る---MicrosoftがGoogleを恐れる理由」とか、「米Google,“Ajaxワープロ”のWritelyを買収」とかといった記事を読んでいると、これは、トレンドというよりは実装のパラダイムシフトに近く、IT業界の勢力地図を書き換える重要なファクターのひとつとして認識されつつあるように感じられる。一年後にいまを振り返ると、隔世の感を覚えるほどになっているのではあるまいか。慌しい業界だね。面白いけど。

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2006年3月21日 (火)

生きていた脳

brain_bread01brain_bread02 こういうものがあるとは聞いたことがあったのだが、最近、行きつけのコンビニで堂々とお菓子として売っているので、試しに買ってみた。怪しいネーミングだよなあ、「頭脳パン」。なんとなく、センスが小林泰三的である。『「頭脳パン」とは、小麦粉100gあたりにビタミンB1を0.17mg以上含んだ「頭脳粉(小麦粉)」で作ったパンです』などと書いてある。「頭脳粉」ってのがこれまた、たまらなく胡散臭いネーミングだ。人間の脳髄を乾燥させて挽いたような感じである。やっぱり、小林泰三の世界だなあ。

 はっきり言って、肥りすぎの乾パンとも、できそこないのカステラともつかぬ奇妙な食感で、それほどおいしいものではない。栄養はあるのだろうが、むやみにカロリーが高い。でも、食いはじめると一気に食ってしまう不思議な魅力がないでもない。だが、これを“パン”と呼ぶのは、いくらなんでもパンに失礼である。パンのようでパンでない……“模倣パン”とでも呼ぶのが適当ではないかと思うのだがどうか。

 それにしても、こんなものが流行っているとは知らなんだ。ずいぶんむかしに話には聞いたような気がするんだが、関西のほうでは全然見なかったぞ。それがいまこうしてコンビニで売られているんだから、そこそこブームにはなっているのだろうか。もちろん、こんなものを食ってめきめき頭がよくなることなど微塵も期待していないが(脚気の予防にはなるかもしれない)、この独特のノリが面白いといえば面白い。伊藤製パンってところのが有名みたいだ(ここいらでは聞いたことない会社だなあ。埼玉かあ)。『「頭脳パン」シリ−ズ』とか「頭脳パン講座」とかいったページを眺めていると、そこはかとないいかがわしさにわくわくしてくる。むかしはこういうわけのわからないものが、駄菓子屋にたくさん並んでいたよなあ。

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2006年3月19日 (日)

選ばれし者

 毎週観ている『仮面ライダーカブト』のオープニング曲に、「選ばれし者ならば」という歌詞が出てくる(本篇にも玩具のCMにも出てくる)。最初に聴いたとき、「ああ、またか……」と思ったね。

 いったいいつのころからだろう、やたら“選ばれし者”が幅を利かすようになってきたのは? どうも近年のフィクションにやたら多いのだ、主人公とか重要なキャラクターとかが、本人の意思とはあんまり関係なく、何者かに選ばれてそこにあるという設定が。

 まあ、たしかに現実の世の中でも、才能の有無やら生まれた家の貧富やらなにやらかにやらは、本人の責任とは関係なく暴力的に降ってくるものではあるが、むかしのフィクションの主要キャラクターは、どちらかというと、“選ばれていない”ということに立ち向かってゆくケースが多かったように思う。まあ、その結果、なにか特殊な力や立場を手にすることができたのなら(できないと、ドラマにならない)、それはやっぱり“選ばれていた”のだという解釈もできるんだけども、最初から“すでに選ばれてしまっている”ことを意識していたりしたら、それはヒーロー、ヒロインらしくないと社会も感じていたのではなかろうか。

 ところが、近年は、妙に“選ばれし者”がカッコいいという空気になってきている。おれなんかは、誰かに無条件で与えられた能力を使って前世から決まっていた運命をなぞってゆくだけのようなキャラクターにはなんの魅力も感じないのだが、最近の子供や若者はそうでもないのかもしれないよなあ。フィクションにも、いわゆる“格差社会”の空気が影響しているのだろうか?

 そもそもおれは思うのだが、“選ばれし者”ってカッコいいか? “選ばれし者”と言うとなにやら神話的な響きがあるが、“エリート”という言葉の原義は、まさに“選ばれし者”だ。要するに、受け身なのである。“選ばれし者”は、どんなに背伸びしても、しょせん“選んだ者”の価値観に寄りかかり、それによって縛られている存在にすぎない。そんなものがカッコいいとは、おれにはどうしても思えないのだよな。おれがカッコいいと思うのは、“己を選ぶ者”だ。選ぼうとするやつが神であろうが権力者であろうがなんであろうが、そいつらの選択基準をどこ吹く風と撥ね退けて、常に己を選ぼうとするやつである。ヒーロー、ヒロインには、そうあってほしい。それは現実ではたいへん困難なことであるからこそ、せめてフィクションの世界では、そういうヒーロー、ヒロインに活躍してほしいのだ。

 ま、こういう感性自体が、すでに爺さんなのかもしれませんけどねー。

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あまーい!

 おれは野菜ジュースが好きで、一日に一回は飲む。ハンバーガーやコンビニ弁当ばっかり食っていると、どうしても新鮮な野菜が不足しがちになるので、身体が欲しがっているのやもしれない。

 しかし、だ。どうも近年の野菜ジュースには、甘い味つけのものが多くて困る。飲みやすいようにと、果汁をたくさん入れてあったりするのだろうが、はっきり言って、大きなお世話である。野菜ジュースはちょっと飲みにくいくらいにぷーんと青臭いところがうまいのだ。あのちょっと飲みにくいくらいのが、おれには飲みやすいのだ。ひどいのになると、キャロットジュースなのにオレンジジュースのような味がするのがあって、いやらしいことおびただしい。中にはわざわざ「甘くない」と書いてある商品もあって、してみると、おれと同じように苛立っている人もけっこう多いのだろう。

 だいたい、近年のトマトが気にくわない。いやまあ、まずくはないよ。でも、もの足りない。おれが子供のころのトマトは、一口かぶりつくと、独特の青い匂いが鼻に抜けるほどに濃厚で、黄緑色のぎょろぎょろしたものがぎっしり詰まっていたものである。あのぎょろぎょろがうまい。なのに、最近のトマトときたら、まるで果物のようである。淡白でほんのりと甘く、自己主張が弱い。見た目にも美しく、いかにもスマートな感じがする。むかしのトマトとはまるで異なる、なにか別のものである。

 スーパーでもコンビニでも、どちらかというと甘系の野菜ジュースがやたら幅を利かせており、甘くないものは品揃えが悪い。ちゃんと青臭い野菜ジュースの復権を強く望むものである。

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王の教室

大阪の小学校教諭、授業中にWBC観戦 「気になって」 (asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0318/OSK200603180053.html

 大阪市立小学校の5年生の教室で、担任教諭(47)が授業中に教室内のテレビをつけて、野球の国・地域別対抗戦ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を観戦していたことがわかった。児童が「勉強に集中できなかった」と保護者に訴えて判明した。市教委は「軽率な行為だ。厳正に対処する」としている。

 こういう先生が担任だと、通信簿に「集中力に欠ける」とか書かれても、全然説得力ねーよなあ。いいかげん、目覚めなさい!

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2006年3月17日 (金)

脳述筆記?

脳波制御のインターフェース、実演 (Hotwired Japan)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/20060316301.html

 ベルリン・ブレ−ン=コンピューター・インターフェース(BBCI)は、脳波計(EEG)を使って脳内の電気信号を測定し、コンピューターで扱える命令に変換する。CeBITでは、カーソルを動かそうと考えるだけで、テキスト文書を作成したり『ポン』(Pong)[米アタリ社が1972年に発売したゲーム]で遊んだりできる、このインターフェースの実演が行なわれ、脳の活動を検出する多数のセンサーがついたクールなキャップも披露された。

 おおお、便利そうだなあ。なにが便利って、これでテレビやらビデオやらエアコンやら、いくつものリモコンを探さなくてもすむようになりそうだ。それより、これが実用レベルになれば、ジャンボーグAが作れるんじゃないか? ふるっ。

 どの程度のものかはわからないが、文書作成ができるというのがすごいな。これがあれば、両手でカップヌードルを食いながらチャットができる。すばらしい。文明の利器だ。

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2006年3月16日 (木)

漏れているのでないのなら 漏らしているのだろうさ

政府のウィニー対策 打つ手なく「使うな」と呼びかけ(asahi.com)
http://www.asahi.com/politics/update/0315/012.html

Winnyを介して感染するコンピュータウイルスによる情報流出対策について(内閣官房情報セキュリティセンター)
http://www.bits.go.jp/press/inf_msrk.html

情報漏えいは止まるのか?「Winnyウイルス」総まとめ 〜Winnyウイルスの経緯と対策〜(ITpro)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060315/232612/

 おやまあ。「覆水盆に帰らず増殖する」現象は、とうとう官房長官が異例の呼びかけを行うところまで悪化してしまった。政府が特定のソフトウェアを「使うな」とまで言うことに対しての批判や反発はあろうし、asahi.comの記事は見出しそのものが政府の対応に批判的であるが、緊急避難としては至極もっともな対応だとおれは思うけどね。即効性のある抜本的対策などない類の問題だ。こういうふうに書いてる朝日新聞だって、明日にも情報漏洩事故を起こさないともかぎらない状況にあることは、ほかの企業・団体・官公庁といささかも変わらない。誰がどう考えたって、この局面では、「使わないようにする」というのが最も合理的な結論であろう。

 それにしても、ほんの半月ほど前のエントリー「ポリティカル・デジタル・ディバイド」で、「そのうち自民党も民主党の永田議員らを笑えないような事案に遭遇することになると思うんだけどなあ」なんて書いてたのが、早くもそうなってしまったわけなのよなあ。因果は巡る糸車、わ〜れ〜こそ〜は〜玉梓が〜怨霊ぉ〜。ふるっ。

 まあ、ものごとは明るい面を見ようじゃないか。考えてみれば、“情報が漏れていることがこんなにもわかっている”というだけで、ずいぶんとラッキーなことなのではあるまいか。

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2006年3月15日 (水)

『脳髄工場』(小林泰三/角川ホラー文庫)

 昨日表題作だけを読んで感嘆した『脳髄工場』だが、出張のおかげでふだんよりゆっくり本が読めたもんだから、一日で読み終えることができた。改めて「本の紹介」として取り上げておこう。

 圧巻はやはり表題作の中篇「脳髄工場」だけれど、短篇・掌篇も読み応えがあり、全体として質の高い作品集になっている。「影の国」「タルトはいかが?」など、すでに他のホラー・アンソロジーに収録されている小林ファンにはおなじみの作品もいくつか入っているが、質が高いので“落穂拾い”的な感じはあまりしない。小林泰三の作品集として一冊にまとめて持っておきたかったファンも少なくないだろう。

 以前この日記に書いた「小林泰三という作家は、中篇を書くとき、最も小林泰三らしさを発揮する。文章が淡々としていてキレがあるので、少々読み足りないくらいの気持ちが残る短篇独特の味もむろん好ましいのだが、理屈や奇想をこれでもかこれでもかと捏ねまわし読者を異界へと誘うには、短篇の分量ではやりにくそうに見えることがある」という意見は、この作品集に関してもやはり同じである。いちびる屁理屈を捏ねる嬉々として読者に嫌がらせをするといった小林泰三の得意技を存分に繰り出すには、どうしてもある程度の尺が必要なのだろう。

[収録作] 脳髄工場/友達/停留所まで/同窓会/影の国/声/C市/アルデバランから来た男/綺麗な子/写真/タルトはいかが?

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2006年3月14日 (火)

「脳髄工場」に驚嘆

 読みかけの本についてはまだどうこう言いたくないのだが、これは中短篇集だから、バラで感想を述べてもいいだろう。いや、『脳髄工場』小林泰三/角川ホラー文庫)のことだ。巻頭の書き下ろし表題作「脳髄工場」はすごい。八十ページほどの中篇だけれども、小林泰三の目下の最高傑作だと独断してしまおう。奇想や藝術性ということであれば、これを凌ぐ小林作品はいくつもあるだろうが、奇ッ怪な設定、悪趣味なジャンク風味、偏執狂的論理、引き攣った笑い、歪な美しさを湛えた叙情性――これら小林泰三的なものがみごとなバランスで凝縮されている点で、小林泰三という作家をあますところなく示す、面目躍如たる傑作だ。まるで江戸川乱歩にグレッグ・イーガンが憑依して書かせたかのような、鬼気迫る猛毒を孕んでいる。騙されたと思って読んでみるべし。おれ個人の好みでも、ストライクゾーンである。以前、宅間守に関して感じた不気味さと不快感を日記に書いたことがあるのだが、その気味の悪さをもののみごとに増幅してくれる。不快さが心地よい作品としか言いようがない。

 それにしても、この、折り返しのところの著者紹介はなんだ? 「二○○二年にはデビュー作『玩具修理者』が女優の田中麗奈主演で映画化された」って、あのなあ……。こんなの、同じく角川ホラー文庫から以前に出た『家に棲むもの』の著者紹介にはなかったぞ。作品が映画化されたことをアピールしたほうが宣伝になると考えた編集者側が加えたのだろうと思う人もありましょうが、いいや、おれはそうは思わないぞ。これは著者本人の希望にちがいない。自分の名前のそばに「田中麗奈」という文字列をなんとしても配置せんとする歪んだ執着のなせる業であろう。きっとそうだろう。そうにちがいない。絶対そうだ。なんちゅう、おっさんや。

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2006年3月13日 (月)

浅田真央を見るといつも思う

 先日、荒川静香と片桐はいりは同系の顔だなどと好き勝手をほざいたばかりだが、好き勝手ついでに、最近気になっていることをもうひとつほざく。浅田真央は、まるでつのだじろうのマンガから抜け出てきたかのようだ。そう思いませんか?

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AIMEE B はキテるのかな?

 以前のエントリー「ラフェスタのCM」で、「声フェチの勘なんだが、この AIMEE B の True は、きっとオーバーシュートするぜ」と書いたのだが、このブログのアクセス解析で検索語を見ていると、なんだかほんとに当たりそうな気がしてきた。「AIMEE B」「AIMEE B TRUE」「ラフェスタ CM」などなど、AIMEE B 関係の検索語が一日に最低ひとつは必ずある。多い日は三つくらいある。「あのCMで唄っているのは誰だろう? なんという曲だろう?」と探している人が相当数いるのにちがいない。CDは出るのかなあ?

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2006年3月12日 (日)

ユカナ*ハルナとマナカナのちがい

 「ユカナ*ハルナのスイートマジック」というポッドキャストがはじまっているのをうっかり見つけてしまい、うっかりiTunesに登録してしまい、うっかり聴いてしまう。声優のゆかな池澤春菜が掛け合い漫才(?)みたいなものをやっている。この二人はじつによく声が似ていて、ユカナ*ハルナというよりは、マナカナのようだ。なにしろ、二人ともああいうおもちゃ声であるからして、掛け合いを聴いているとなにやら尻の穴がこそばゆ〜くなってくる。それが声フェチにはまた快感だったりするわけだが……。ま、なかなかいいコンビじゃないすか。

 ひとつもの足りないのは、ふつうホモ・サピエンスが二人でしゃべっていると、「そんなアホな」「ええかげんにせえ」「やめさしてもらうわ」などのやりとりが当然の礼儀として交わされるものなのだが、ユカナ*ハルナの場合は、そういうことはない。そのあたりがまあ、マナカナとちがうところやな。

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脳細胞日記

 どうも最近、よく知っているはずのむかしの芸能人の名前が咄嗟に出てこないことが増えてきた。思い出せる場合でも、あきらかに反応速度が落ちてきているのが自覚される。元々あまりよくない頭が、とうとう実用に支障を来たすほどに老化してきたのだろうか。脳細胞がどんどん死んでいっているのは、厳然たる事実であるからな。

 そこで、以前よくテレビでやっていた「おとといの晩御飯がなんだったか、思い出せますか?」というゲームのCMを思い出す。

 よし、やってみよう。おとといの晩御飯は……コンビニ弁当だ。三日前は……えーと、えーと、コンビニ弁当だ。四日前は……そうだ、コンビニ弁当だった。五日前となるとさすがにダメかと思ったが、なんのなんの、コンビニ弁当だ。いくらなんでも六日前まで憶えていることは不可能だと思うでしょうが、そんなことはない、コンビニ弁当だと思い出すことができた。七日前は……う、うーむ、コンビニ弁当じゃなかったので思い出せない。

 なあに、これだけ思い出せるのだから、まだまだおれの脳は若々しいにちがいないぞ。

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『フジアキコ物語 〜ウルトラマン撮影秘話〜』(長谷川光司、原案・桜井浩子/KADOKAWA COMICS 特撮A)

 ウルトラなおやじたちは、フジ隊員桜井浩子)派とアンヌ隊員ひし美ゆり子)派に分かれるものであるが、おれは断然フジ隊員派である。というか、江戸川由利子派というか……。

 それはともかく、「ウルトラマン撮影秘話」とあるけれども、本書は、ウルトラマンの撮影現場にいた人々をあくまでフィクションのキャラクターとして設定し、フジアキコ隊員(桜井浩子ではない)を当世風の“萌えキャラ”に仕立て上げ、彼女を中心としたドタバタを一話読み切りの連作シリーズとして描いたコミックだ。八話収録されている。事実(史実?)とフィクションがないまぜにしてあるので、各話にひとつふたつは紛れ込ませてあるという“ほんとうの撮影秘話”を推測しながら(ウルトラおたくな人は、見破りながら)読むという楽しみがある。

 はっきり言って、わくわくどきどき、ページを繰るのももどかしいという“面白い”作品ではない。が、ウルトラなものが好きないい大人にとって“楽しい”作品になっている。どうも、いつもどちらかというとアンヌ隊員ばかりが脚光を浴びているのが愉快でないフジ隊員派にとっては、フジアキコ隊員が萌えキャラ風にマンガ化されているだけで嬉しいではないか。

 さらにさらに、ネットで書影を見ている人にはわからないサービスとして、この本の腰巻には、スーパーガンを構える若き日のフジ隊員の姿がカラーで載っているのだ。ヨシナガ教授じゃないから安心するように(をい)。たしかにアンヌ隊員は子供の目にも明るく肉感的であったが、やっぱり見るからに暗いフジ隊員の憂いを帯びた声と知的な目のほうが断然いいでしょう。巻末には、桜井浩子直筆のコメント付き。

 ええ、どうせおやじにしかわからなくていいですとも。いったいどういう人々がこの本の想定読者層なのかよくわからんけど、子供のころ、フジ隊員にほのかな恋心のようなものを抱いていた四十代以上のおじさん(というのは手前のことだ)も想定されてはいるかもしれない。『ウルトラマン』のDVDをお子さんと一緒に観ているお父さんにはお薦め。

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2006年3月11日 (土)

シミュラークルとパブロフの犬

 晩飯の用意をしていると、点けっぱなしのテレビを背中で聴いていると、威勢のいい「GOLDFINGER'99」のイントロが流れ出した。レイザーラモンHGがまた出ているのだろうと思って画面を見ると、郷ひろみが唄っていた。郷ひろみが小刻みに腰を振らないのはなんだかもの足りない……と思ってしまったのだから、してみるとレイザーラモンHGというのも、なかなかたいしたやつにちがいない。

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ココログの障害による当日記の機能不全に関するおわび

 お、書けた書けた。

 三月九日の朝から、この日記が走っている(笑)@niftyの「ココログ」の有料コース(ベーシック/プラス/プロ)に障害が発生し、ログインができなくなってしまった。当然、なにも書き込めない。おれのブログを読むぶんには、ちゃんと読めるようだ。読めるが、これではココログにトラブルが起こっていること自体、おれのブログの読者様方には、見ただけではわからない状態ではないか。これは参ったな。裏のシステムがトラブっているので、コメントもトラックバックも利かないだろう。もしコメントしようとしてシステムからエラーが返ってきてしまったという方がいらしたら、そういう事情なのです。申しわけない。いや、なにもおれが@niftyの代わりに謝ることはないかもしれないが、なにか書こうとしてくださった方がいらしたらとしたら、せっかく書いたものが書き込まれない苛立ちは察するにあまりあり、このようなタコなサービスプロバイダのブログをインフラとして選んでいるおれの個人的な愛着と不明にも、その苛立ちを招いた責任の一端はあると考えるので、お読みくださっている方々にはおれからも謝罪させていただくのが筋であろう。なにかコメントしようとしてくださった方、トラックバックを打ってくださったけれどもココログのシステムに無視されてしまった方、もしいらしたら、まことに申しわけございません。以下のような事態なのです。

20060310障害情報報告ブログ(ココログ by @nifty)
http://cocolog2006.typepad.jp/blog/

ココログ、会員向けサービスでログインなどができない障害が発生(INTERNET Watch)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/03/10/11194.html

 @niftyとはパソコン通信のNIFTYServe時代からかれこれ二十年弱のつきあいだが、メンテナンスのあとに大きな障害が起こるのは、もはやニフティの伝統(?)みたいなものなのである。しばしば不愉快な思いをしてきた。そういう人は多いはずだ。それでもやはり、おれはニフティに個人的な愛着を持っている。そのシステムを利用して、かけがえのない出会いを得てきたし、楽しい思いをたくさんしてきたという恩義みたいなものは感じているのである。だもんで、なぜココログなどという危機管理の甘いインフラを使うのかというおれに対する非難は、甘んじて受けようと思う。ええ、単に個人的な愛着以外のなにものでもないのです。大目に見てやってください。

 それにしても、いまの@niftyはトラブルの告知が遅いね。トラブルは起こさないに越したことはないが、大なり小なりそれは起きてしまうものだ。起きたときの対応がよろしくない。顧客視点が欠落している。また、このネットワーク時代には、“顧客の顧客も顧客なのだ”という視点も当然持たなくてはいけない。つまり、@niftyに金を払っているおれのブログを読みにきてくださる読者様も、@niftyの立派なお客様である。比較的早耳の〈INTERNET Watch〉が十日の十五時に報道しているとは、いったい@niftyはどういう広報体制をとっておるのか。猛省を求めたい。

 というわけで、おれはタコなココログを使い続けますが、お読みくださっている方々におかれましては、冬樹のちっぽけな個人的愛着におつきあいくださいますようお願いいたします。@niftyめのことですから、今後もタコなことをしばしばしでかすかもしれませんが、ココログの不具合でご不快な思いをなさるようなことがございましたら、なにとぞ連中にご指導ご鞭撻を賜ってやってください。おれが@niftyに愛想を尽かすまでのあいだでけっこうでございますが……。

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2006年3月 9日 (木)

妖精を見るには 妖精の目がいる

2005年後半から2006年初頭にかけての事件と情報教育の関連に関するコメント(情報処理学会)
http://www.ipsj.or.jp/12kyoiku/statement2006.html

 情報処理学会情報処理教育委員会では、わが国の情報教育の現状に危機感を抱き、2005年10月29日に「日本の情報教育・情報処理教育に関する提言2005」(以下「提言」と記す)を公表した。この提言には、現在の「情報処理と情報システムの原理に対する理解の欠如」がわが国社会にどのような悪影響を及ぼしているかの議論が含まれているが、はからずも提言が公開された後、まさにこの「理解の欠如」が原因の1つと思える事件が相次いで起こっている。

(中略)

 我々が情報教育・情報処理教育において目指すものは、日本国民全体が次のことをきちんと納得し理解することだと言える:

コンピュータは道具であり、人間が設計したことを、その能力の範囲内で、設計されたとおり正確に行うだけである。従って、設計した人間が間違えばコンピュータは正しくない答えを返すし、能力を超えたことをさせようとすれば動かなくなる。

 簡単なようだが、これを単に話として聞くだけでは身につかない、だから実際にコンピュータの原理に接して身をもって納得する必要がある、というのが提言の中核をなす考えである。

 二十年前の話ではない。これはつい先日発表された文書なのだ。これだけコンピュータに依存した社会を作り上げておきながら、わが国は、まだこんなことを学会がコメントしなければならないような状況であるらしい。この文書にも触れられている「日本の情報教育・情報処理教育に関する提言2005」も、真面目に受け止める必要がある。

 不思議なことに、たとえば、テレビのニュースで誤報が流れて社会が混乱しても、アンテナやら受像機やらなにやらといったテレビ放送送受信のための機器が悪いとは誰も思わず、まあ、誰もがテレビ局が悪いと捉えるはずなのに、ことコンピュータが絡む事件だと、「コンピュータが悪い」ですませてしまう人がいたりする。

 家庭の電気製品が突然ことごとく動作しなくなると、「お向かいさんちは灯りが点いている。ウチがいっせいに電気を使いすぎてブレーカが落ちたのだろうか」と、たいていの人は推測するだろう。あるいは、冬の寒い日に蛇口から水が出ないと、「水道管が破裂したのかもしれない」と推測できる“リテラシー”を誰もが身につけている。なのに、これらと同じくすっかり社会インフラとなっているコンピュータに関しては、知っている人だけが知っている、知らない人はほんとうにみごとになにも知らなくてよいといった社会通念が形成されてしまっている。これはまずい。「電気を一度に使いすぎると、安全装置が働いて通電が遮断されるようになっている」という知識は、電気の専門家でなくともふつうの大人なら誰でも持っているはずだが、情報インフラの中核を成すコンピュータに関しては、それに等しいレベルの認識すらまだまだ浸透していないのだ。

 「コンピュータは道具であり、人間が設計したことを、その能力の範囲内で、設計されたとおり正確に行うだけである」などと言われると、「バカにするな。その程度のことは知っとるわい」と失笑したり怒ったりする人は少なくないはずである。だが、誰もが知識として持っているはずの“その程度のこと”が、じつはよく“わかって”はいない人がたくさんいるのだと判断せざるを得ない事件が繰り返し起きているのが実態なのだ。

 Word やら Excel やらといったアプリケーションソフトをブラックボックスとして操作できるようにする類の教育とはまったく別の次元で、コンピュータに“ないものねだり”をしない健全な判断力を養う教育がぜひ必要だろう。むかし、「うちのお父さんは、ピンクレディーがテレビに出てくると、テレビの前で姿勢を低くしてスカートの中を覗こうとします」などという笑い話があったのだが、これが笑い話として成立するのは、誰もが“テレビとはどういうもので、なにができて、なにができないか”という認識を共有しているからこそである(まあ、実際に、姿勢を低くすればピンクレディーのスカートの中が覗けるテレビも、作れないことはないところまで来てはいるが……)。コンピュータに関しては、“ピンクレディーのスカートの中を覗こうとしている”人やら組織やら社会の仕組みやらが、まだまだあちこちにごろごろ存在している段階だと言えるだろう。文部科学省はもちろん、さまざまな立場の教育関係者も、情報処理学会の提言に耳を傾けるべきだと思うぞ。

 じゃあ、具体的にどんな教育をすればいいのかは、識者がじっくり検討してくださればよいが、じつはおれが勝手に考えていることがふたつある。おれにもし子供がいたら、すでにやらせているだろう。

 まず、小学校低学年くらいで、子供に算盤の基礎をやらせる。なにも実用になるほどの腕前にする必要はない。サワリだけちょいちょいとやって、「こんな簡単な仕組みの道具なのに、簡単なルールに則って機械的に珠を弾いてゆくだけで計算ができるんだあ」と子供がわかればそれでよい。おれたちが小学生のころには、まさにそういう教育を算数の時間に受けた。いま思えば、のちにあれはコンピュータの理解(ついでに言えば、分子生物学の基礎の理解)に感覚的にたいへん役立った。フォン・ノイマン式コンピュータは、早い話が、大規模な“高速一つ珠算盤”にすぎない。

 次に、ドミノ倒しをやらせる。ひたすらやらせる。おれたちの子供のころは、将棋の駒でよく将棋倒しをやって遊んだ。あれは、人生に必要ないろいろなことが学べる、じつに教育的な遊びである。コンピュータのプログラムは、早い話が、“手の込んだドミノ倒し”にすぎない。

 算盤とドミノ倒し、これだけである。コンピュータの教育だなどと子供に知らせる必要すらないだろう。これらふたつの体験をさせることは、最低限度の情報処理教育におのずとなっているのではないかと思うのだがどうか。



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2006年3月 8日 (水)

イナバウアー

medamauervaltanauer ちょっ……ちょっとやってみたかっただけや!

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2006年3月 7日 (火)

われらを狙う黒い影

 歯医者で椅子に仰向けになったところに、あのちっちゃい無影灯が顔に迫ってくると、「仮面ライダー本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは……」と、頭の中で中江真司のナレーションが流れはじめるという条件反射は、もうこの歳になったらなんとかならんのかとは思うものの、そんな自分がちょっと可愛かったりするおれなのだった。

 それはともかく、昨夜も歯医者でおれの頭の中に中江真司の声が流れはじめたとき、いつもとちょっとちがうことを考えた。「そういえば、ショッカーは、なぜ本郷猛を脳から改造しなかったのだろう?」

 考えてみれば、おかしいではないか。ショッカーといえども、やっぱり脳の改造がいちばん難しいだろう。改造している最中に被改造体が死んでしまったり、死ななかったとしても、少しの失敗で使いものにならなくなったりすることも少なくないだろう。だとすると、手間ひまかけて首から下を改造してからリスクの大きい脳に取りかかるよりも、脳を先に改造してしまったほうが、労力が無駄になる可能性が低いというものだ。そのほうが、首から下を改造するにも被改造体が従順でやりやすいのではなかろうか?

 被改造体が一人しかいないというのであれば、いちばん難しいところを最後まで取っておく(?)という心理もわからないではないが、次から次へとさらって来ては怪人にしているのだから代わりはいくらでもいるわけで、だったら最もクリティカルなところから着手して早期に成否をはっきりさせたほうが、長期的には断然工数が減るにちがいない。いちばん厄介な一割がじつは確たる理由もなく最後まで後回しにされているのが把握できず、「もう進捗は九割だ」などと呑気に構えている、量と質の区別がつかないタコなプロジェクトマネジャーがショッカーにはたくさんいるのかもしれん。その最後の一割をやるのに工期が“前半の九割”と同じくらいかかってしまい、結局、納期は遅れ、プロジェクトは赤字になるのだ。だから、ショッカーはいつまで経っても仮面ライダーに勝てないし、株価も上がらないし、給料は低いし、ボーナスは少ないし、戦闘員の生活は大変なのだ。ぶつぶつぶつぶつぶつぶつ……。

 はっ。

 いやそのつまり、ショッカーの考えていることは、凡人にはよくわからないということなのである。

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2006年3月 6日 (月)

あの宇宙人の名前が知りたかった人へ

 うひゃひゃひゃひゃ、これは面白い。このブログのアクセス解析で、例によって、ここを見つけた検索語を眺めていると、「ウニャ 星人 トリック」というのがあった。こんなのを検索している人が、日本の(世界の?)どこかにいるんだねえ。これはもう、去年の11月20日のエントリー(といっても、今年になってから、mixi からこちらのブログへ転載したぶんだが)、「遅れてお見通しだ『TRICK 新作スペシャル』」がヒットしたのでしょうなあ。

 せっかく検索してきてくれたのに、当該エントリーには「“ウニャなんとか星人”」としか書いてないので、申しわけないから、一度ちゃんと書いておこう。山田奈緒子が友だちになったアレは、「ウヌャニュペェィギュゥリュ星人」です。よい子のみんなは、ちゃんと辞書登録しておこう!

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原始的な掃除機で悪うござんしたな

 最近のダイソンのCMが、ちょっとけったくそ悪い。使っているうちに吸引力が落ちてきてゴミを取り逃がすようになり、おまけにハウスダストを巻き上げるとけちょんけちょんに言われている“従来の掃除機”のほうなんだが、ワイヤーフレームで輪郭だけを示しているとはいえ、どう見ても、うちの掃除機と型がそっくりである。そっくりどころか、あれは日立の「たつまきサイクロン」そのまんまではあるまいか。東芝のでもナショナルのでも三菱のでもないぞ、あのワイヤーフレームは。

 いやまあ、べつにじっくり研究したうえで日立のがとびきりいいと思って買ったわけではなく、会社の勤続二十年の記念品の中にろくなものがなかったので、実用的なものにするかと選んだ掃除機がたまたま日立のだったというだけであって、とくに「たつまきサイクロン」に思い入れがあるわけではない。にしても、ああいうふうにもろにけちょんけちょんに言われると、ちょっとムカっとする。ダイソンのはなあ、いいかもしれんが、高すぎるんだよ。いくらものがよくても、たかが掃除機にあんなに出す気にはなれん(って、日立のだってもらいもののくせに)。

 外資だけあって、ダイソンのCMはじつに攻撃的だが、とくに日立を狙い撃ちしているのはどういうわけだろう? 最も強敵だと思っているからなのかな。暇があったら、掃除機のマーケットシェアを調べておこう。

 それにしても、ダイソンのあの「15万Gの遠心力」というコピーは、どういう測りかたで言っている値なのだろう? 遠心分離機でも超遠心機に分類されるであろう数字である。あ、そうか、要するに、おそらくダイソンの掃除機は“掃除機を強力にしてゆく”というコンセプトから生まれたものでは、そもそも最初からないのだ。たぶん“遠心分離機を掃除機としても機能するように改造する”というコンセプトで生まれたのにちがいない。

 まあ、せめて日立のくらい安けりゃ、欲しいんだけどね、じつのところは。

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2006年3月 5日 (日)

「午後の紅茶」に関する“誤解”

 最近の『午後の紅茶』のCMが曖昧でいらいらしている。いや、松浦亜弥はいいのだが、CMの言い種が気に食わないのだ。

「午後の紅茶」は甘すぎる
そんな誤解していませんか?
この味でたったの15キロカロリー
新しい「午後の紅茶」です

 どこが曖昧かというと、「新しくなってカロリーが下がった」のか「カロリーが高そうだと誤解されているようだが、じつは前から15キロカロリーで、高カロリーだという従来のイメージを払拭するためにデザインやなにかを新しくした」のか、よくわからないのである。前者だとすると、やっぱりこれまでの世間の認識は誤解でもなんでもなかったわけだし、後者だとすると、いったいどこを新しくしたのかはっきりしろということになる。もちろん意図的に曖昧にしているのだろうけど、意図的に曖昧にしなければならない必要があるのだとすると、やっぱり前者なのだろうけどなあ。

 ああ、気色が悪い。おれは「午後の紅茶」について、いままで“誤解”していたのだろうか、そうではなかったのだろうか?

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2006年3月 4日 (土)

覆水盆に帰らず増殖する

「それでも貴方は使いますか?」WinnyユーザーにIPAがウイルス被害を警告(INTERNET Watch)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/03/03/11101.html

 情報処理推進機構セキュリティセンター(IPA/ISEC)は3日、2006年2月のコンピュータウイルス・不正アクセスの届出状況を公表した。2006年2月のウイルスの検出数は約256万個、不正アクセスの届出件数は26件で、いずれも1月の件数からは減少した。また、2月の呼びかけとして、Winnyを介して情報漏洩を引き起こすウイルス「Antinny」への注意文を掲載した。
 IPA/ISECでは、ウイルス・不正アクセスの届出状況を伝える記事の冒頭で、Winnyを介した情報漏洩事故が多数発生していることを受け、「ファイル交換ソフトに潜む情報漏えいの危険性!!――それでも貴方は使いますか?」と題した警告を掲載している。

 いやあ、ホント、最近あまりといえばあまりにもWinnyを介した情報漏洩事故(“事件”と呼びたい感じもあるが……)が多い。“毎日のように報道される”なんて常套表現があるが、これはもう、ほんとうに“毎日”報道されているんだからただごとではない。毎日、最低一件、多い日は三、四件目にしたりする。「今日はどこの企業・団体の情報がWinnyで漏れるんだろう」などと妙な期待をしてしまうくらいだ。

 これほど世間で騒いでいるのに、職場のパソコンでWinnyを使っていたり、Winnyを使っている私物のパソコンに職場から持ち帰ったデータを入れていたりするやつの気が知れない。職場で仕事に使っているパソコンにWinnyをインストールするなど論外だが、どうしても自宅では使いたい、あるいは、使わなければならない性質の仕事をしているというのであれば、Winny専用のパソコンを設けて、そいつ用にしか使わない回線を一本引くくらいの覚悟が必要だろう。

 Winny自体がそもそも悪いとはおれは思わないし、どんな技術でも使いかた次第で毒にも薬にもなるだろうけれども、細心の注意を常時怠らない精神力と技術力と強運に絶対の自信があるのでもないかぎり、ふつうの人は“まだ”使わないに越したことはないと思うけどねえ。家電感覚で使えるような練れたものではないでしょう、まだまだ。ソフトウェアにロボット工学三原則を適用するとすれば、Winnyはお世辞にも安全で従順で自己防衛を能くするロボットだとは言えない。まあ、それを言うならWindowsだってロボット失格かもしれないが(笑)、あくまで程度問題である。おれは自分の精神力と技術力と強運に全然自信がないから、ただでさえ憂いごとの多い人生に好きこのんでもうひとつ上乗せする気にはなれず、怖ろしくてWinnyなど使えない。なにかあってもおれだけが痛い目を見るのであればそれはおれの勝手だが、痛いのはおれだけじゃすまないから怖ろしいのだ。

 IPAがだんだんトーンを強くして再三呼びかけているのも無理はない。でも、どうも警告が効いているとは思えないんだよねー。なにが悪いんでしょうね? 日本人の危機管理意識は希薄なんだろうか? こんなに災害の多い国なのにね。

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2006年3月 1日 (水)

ポリティカル・デジタル・ディバイド

HP解禁、メールはダメ ネット選挙で自民が中間報告
http://www.asahi.com/politics/update/0301/002.html

 自民党はインターネットによる選挙運動の解禁に向けて検討を進めているが、その中間報告案が1日、明らかになった。ホームページ(HP)の利用を解禁する一方で、電子メールについては、他人になりすましてのメール送信などを防ぐため引き続き禁止としている。近く党選挙制度調査会で報告し、党内の意見集約を図る方針だ。
 中間報告案では、解禁の対象は国政選挙だけでなく地方選挙も含めた。HPはポスターや政見放送など音声や動画も利用できるようにする。

 RSSはどうなんだろう? ポッドキャスティングは?

 メールが「他人になりすましてのメール送信などを防ぐため」ダメだというのなら、ウェブサイトだって、そのドメインとサーバの実在と真正性を第三者に証明してもらわなければならないから、全ページをSSLで送信するようにしなければならないよな。いやいや、昨今、それでも油断ならないぞ。「“本物”のSSL証明書を持つフィッシング・サイト出現」なんてことが話題になっているくらいだ。「正規の証明書を持っているサイトも信用するな」とフィッシングの研究者が警告したりもしている。

 結局のところ、公職選挙法も政治家も、ずいぶんと時代に置いていかれてますなあ。べつに政治家がITの専門家になる必要はないけれども、そういう中間報告案とやらを出すんなら、いっぺん岡村久道とか牧野二郎とか、そういう人たちに見てもらってから出したほうがいいんじゃなかろうか。でないと、そのうち自民党も民主党の永田議員らを笑えないような事案に遭遇することになると思うんだけどなあ。

 ちょうど経営とITが切り離せなくなってしまったように(というか、ITは財務会計やマーケティングと同等の経営リテラシーの一部になってしまったように)、すでに政治にもITは不可欠なものに、いや、政治とITは不可分なものにすらなってしまった。政治家には必ずしもITの専門知識は必要でないが、ITリテラシーは当然のものとして要求されるようになっていると言えるだろう。今回の“堀江メール”事件は、そういう時代の到来をも象徴的に示していると政治家さんたちは読み取るべきだと思うのだよな。

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ある座標変換

 このあいだまで安藤美姫カエル顔で可愛いと思っていたのだが、このところ否応なしにフィギュアスケートを目にしているうちに、にわかに荒川静香のファンになってしまったおれなのだった。いやあ、美人だよねえ。きりりと冷たそうな感じがなんともかっこいい。クールビューティーとはよく言ったものだ。銀盤の上もいいが、滑ってないときもきれいだねえ。

 深夜、おもむろに「いなばうあーっ!」などと叫び、うしろに反りくり返ろうとしてみるものの、鏡に映っているおれはどう見てもただ万歳をしているだけである。さらに無理をして「いぃなばうあぁーっ!」と勢いをつけて反り返ると、腰と鳩尾のあたりが同時にばきべきっと不気味な音を立てる。む、無理はしないほうがいい。ちなみに、「びぃるまんすぴんっ!」をやってみようとすると、太腿が攣りそうになる。あんなことできるかっ! まっこと、人間業とは思えない。せいぜいおれは、レイザーラモンHGの真似でもしているのが、いちばん健康によさそうだ。いや、慣れというのは怖ろしいもので、暇なときに真似しているうちに、最初のころよりはずっと速く腰が振れるようになった。だからどうということは、まったくない。虚しい達成感があるばかりである。

 それはともかく、今夜も晩飯を食いながら荒川静香の凱旋記者会見を食い入るように観ていたのだが、観れば観るほど美しい。が、ちょっと待て。この美しい荒川静香は、なんとなく誰かに似ている……。

 そ、そうだ。荒川静香の顔というのは、ちょっと着地をまちがえると、片桐はいりになってしまうのだった。大発見だ。いや、片桐はいりが不美人だと言っているのではないよ。むしろ、両者は“同系の顔”だというのを発見して驚いているのである。片桐はいりは、荒川静香の随所が多少エンハンスされているだけであって、基本的には美人顔なのではあるまいか? まあ、強いて言えば、三回転−二回転のコンビネーションジャンプが決まったのと、三回転−三回転に失敗して転倒したのとのちがいくらいしかないような気がする。

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今月の言葉

ヤヨイとマーチの家

 こんな姉妹はたぶんいないよなあ。「ヤヨイとマチ」ならいるかもしれない。「ヤオイとマッチョ」もどこかにいそうだ。

 「ミナヅキとジュン」くらいならほんとうにいそうだが、「フヅキとジュライ」「ハヅキとオーガスト」となると相当無理がある。セプテンバー以降はまず人間の名前じゃない。となると、やっぱり「サツキとメイ」というのは、いちばんすわりがいいのだなあ。

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