革命的馬鹿者
▼「コペルニクス的ばか者」 ヒューザーの提訴に横浜市長
http://www.asahi.com/national/update/0202/TKY200602020528.html
「コペルニクス的ばか者」ってのは、なかなかすごい言語感覚だと思う。わかるような、わからないような。ちょっと聞くと、コペルニクスが代表的馬鹿者として例示されているみたいだが、たぶん“ふつうの馬鹿者とは180度ちがう視点で馬鹿者である、とんでもない馬鹿者”という意味なのだろうと思う。たしかに、あの社長の論理には、いっそ感心してしまうよなあ。
「ガリレオ的馬鹿者」ってのがいたとすると、それはいったいどういう馬鹿者なのだろう? 「ニュートン的馬鹿者」「アインシュタイン的馬鹿者」「ボーア的馬鹿者」「ハイゼンベルク的馬鹿者」などなどをそれぞれ横浜市長的に考えると、そいつはいったい馬鹿者なのか賢者なのか、よくわからなくなってくる。
「ゲーデル的馬鹿者」ってのはすごいぞ。無矛盾な公理系には馬鹿者か馬鹿者でないかが決定できない命題が少なくともひとつは存在するくらいの馬鹿者なのである。どんな馬鹿者なのか、なんだかわくわくする。
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コメント
チューリング的馬鹿者というと,端末越しに会話して,「こいつ馬鹿だ」と思わせる様な馬鹿でしょうか。
ニュートン的馬鹿は,絶対的な馬鹿という境地を設定するのに対して,アインシュタイン的馬鹿は、関西の「アホ言うもんがアホや」というように絶対的馬鹿を否定する立場で,ボーア的馬鹿は、「このわしが馬鹿だといった瞬間、貴様は馬鹿になるのだ」というワンマン社長的馬鹿かもしれない。
投稿: 林 譲治 | 2006年2月 3日 (金) 18時18分
蓋を開けてみるまで馬鹿かどうか判らない「シュレーディンガーの馬鹿者」……あ、これはありふれていますね(汗)
投稿: MATUKEN | 2006年2月 4日 (土) 14時00分
どんなに血の滲むような勉強をしても、100点満点の試験で絶対に76点を超えることができない「トリチェリ的馬鹿者」……小粒だなあ(笑)。
投稿: 冬樹蛉 | 2006年2月 4日 (土) 23時45分