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2006年2月の43件の記事

2006年2月28日 (火)

フォアグラがない!

 風邪を引いているので栄養を摂らねばいかんなあと思って冷蔵庫を開けてみると、なんてことだ、フォアグラがない。そうか、鳥インフルエンザのために輸入が停止されたのだな。なんてことだ、庶民の食卓を直撃ではないか。吉野屋のフォアグラ丼もしばらくは食えなくなってしまうのか。マクドナルドのフォアグラフィレオも販売を休止するのか。困ったなあ。困った、困った。いつも割りを食うのは庶民ばかりだ。あんまり困ったので、歌でも唄おう――

 ♪フォア〜グラはみんな 生きている
  生きているから 歌うんだ
  フォア〜グラはみんな 生きている
  生きているから 悲しいんだ

 なんか、書いてて悲しくなってくるが、フォアグラの輸入が停止されようがどうしようが、痛くも痒くもないわい。

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オクテイヴィア・バトラー死去

Octavia E. Butler (1947-2006) (SFWA News)

http://www.sfwa.org/news/2006/obutler.htm

Octavia Estelle Butler passed away at her Seattle, Washington home on Saturday February 25, 2006.

 訃報が続く。

 「血をわけた子供」『80年代SF傑作選〈下〉』所収)、『キンドレッド―きずなの招喚』《異種創生 Xenogenesis 》三部作(未訳)などで知られる黒人女性SF作家、オクテイヴィア・E・バトラーが、シアトルの自宅で二月二十五日(現地時間)急逝したとのこと。

 Xenogenesis 三部作は、日本SF大賞受賞作『女性状無意識(テクノガイネーシス)―女性SF論序説』小谷真理/勁草書房)所収の評論にも取り上げられているので、未訳ながらも、なんとなく話は知っているという方も少なくないかもしれない。まあ、文庫の傑作選で紹介されているうえ、ショッキングなインパクトがあるという点で、やはり、日本の多くのSFファンには、「血をわけた子供」のバトラーとして知られているのではなかろうか。

 マイノリティーのSF作家としては最も功成り名遂げたひとりであったろうが、まだ逝くには若すぎただけに、彼女がこれから書いたであろうものの大きさを思うと、その早すぎる死が惜しまれる。

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2006年2月26日 (日)

佐々木守、逝く

「ウルトラマン」などの脚本家、佐々木守さん死去

http://www.asahi.com/obituaries/update/0226/002.html

 佐々木 守さん(ささき・まもる=脚本家)が24日、内臓疾患で死去、69歳。告別式は3月1日午前11時から石川県小松市西町96の称名寺で。喪主は妻直子さん。自宅は公表していない。
 「ウルトラマン」「七人の刑事」「アルプスの少女ハイジ」など、テレビやラジオで多くの脚本を手がけた。

 おれたちの世代だと、脚本家を意識するとせざるとにかかわらず、佐々木守の作品にいろんなものを刷り込まれているのがふつうだろう。何年も経って再放送を観て、「あ、これも佐々木守だったのだ」などと気づいたものである。一般紙的には上記のような紹介になるのだろうけど、佐々木守といえば、やっぱり『怪奇大作戦』「京都買います」でしょう。新聞の訃報にも挙げてほしかった。「死神の子守唄」も好きだなあ。

 佐々木守さん、お疲れさまでした。数々の作品をありがとうございました。

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条件反射

 『サンデーモーニング』にカメラ目線の津島亜由子が出てくると、どうしても『鈴木タイムラー』に見えてしまう。「関口〜?」とか、呼び捨てにしてほしい。

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2006年2月25日 (土)

特殊すぎてわからない空似

 おれの行きつけのマクドナルドに、菅浩江さんそっくりの店員がいる。おれの行きつけのコンビニには、高野史緒さんそっくりの店員がいる。だからどうだということはなにもないのだが、「あなた、菅浩江さんに似てますねー」とか「高野史緒さんに似てますねー」とか本人たちに声をかけるわけにもいかないし、人に言ってもまず通じないだろう。だけど、一応誰かに言いたいという気持ちがある。だもんで、ここにでも書く。

 「○○駅の売店の女のコって、うちのそばのクリーニング屋の娘に似てるんだ。それはそれはもう、似てるんだ」などと、人に言いたくてしかたがないけれども、誰にもわかってもらえないにちがいないので、虚しくいらいらしている人が世界のあちこちにいるんだろう。それは、バカバカしいけど、なにやら妙にいとおしいことではないか?

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『親指タイタニック』

 GyaO『親指タイタニック』ってヘンな映画をやってたので、「なんじゃこれは」と思いつつ、ついつい観てしまう。く、くだらねー。もちろん褒めている。原題は Thumbtanic 、登場人物(?)はひたすら“親指”ばかりである。いったい全体、こんなものを作ってなんの意味があるのか? むろん褒めている。主人公の親指が、これまた絶妙にディカプリオに似てるんだ。レオ様ファンは怒るかもしれんけどなあ。

 Stevine Odion という、どこかで聞いたような聞かなかったような名前の金髪女性歌手(というか、親指)が、主題歌 My Heart Is a Thumb を感動的に唄い上げているのが最高。ああ、くだらなかった。

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過誤ちゃん

W辻ちゃん「反省して戻ってきて」

http://www.asahi.com/culture/nikkan/NIK200602240051.html

 活動休止状態のデュオW(ダブルユー)の辻希美(18)が23日、ユニットを組む未成年タレントA(18)の喫煙騒動を謝罪した。Aは9日から謹慎中で復帰のメドは立っていない。

 新聞というのはなんとも奇ッ怪なものだが、たしかにおれが記者であったとしても、「なんだかなあ……」と首を傾げつつも、やっぱりこのようにしか書きようがないだろうねえ。

 うーむ、しかし「未成年タレントA」って誰だろう?

 あ、わかった! あびる優? なわけねーだろ。

 そこで新作をひとつ――「W(ダブルユー)とあびる優くらいちがう」

 まあ、未成年タレントAよ、おれはむかしからキミがけっこう好きなんだが、子供のファンも多いキミがこういうことをしてはいかんね、やっぱりプロとして。煙草吸うことそのものに関しては、正直なところ、十八歳も二十歳も同じようなもんやん、そんなもん、自分でわかって吸うとるんやろうし、人がとやかく言うことかいな……と、おれは腹の中では思っているけれども、それはそれとして、十八にもなったら、子供の夢の対象としての自分というものを自覚せんといかんとおじさんは思うぞ。そこいらへんを反省して戻ってきていただきたい。おじさんも待っているぞ。

 それはともかく、もし未成年のウルトラマンがなにか悪いことをしたら、新聞には「ウルトラマンAは……」って出るんだろうか。もし、その未成年のウルトラマンが帰ってきたウルトラマンだった場合、ちょっと気を悪くすると思う。さっきからいったいなにを言ってるんだ、おれは?

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2006年2月24日 (金)

♪ちっちゃいってことは便利だね あ 便利だね

メール打ちすぎで障害:英国だけで年間380万人
http://hotwired.goo.ne.jp/news/20060222301.html

 携帯電話会社の英ヴァージン・モバイル社は21日(現地時間)、携帯メールの打ちすぎで、指の痛みなど「反復運動過多損傷」(RSI)を患う人が、イギリスだけで年間380万人に上ると発表した。予防マッサージを考案し、専用ウェブサイトで紹介している。
 同社の調査によると、イギリスでは約12%の人が1日当たり1〜20通の携帯メールを発信しており、10%の人はそれ以上、多い場合は100通を打ち込んでいる。このため、同じ動作の繰り返しすぎでRSIとなり、指や手首にしびれ、痛みを感じる人が増えているという。

 ううーむ。あのですね、ふつー、そこまで大量に打つんなら、パソコン使わんか? 使わんのだろうな。ケータイで打つことに意義があるのかもしれん。それにしても、一日百通とは……。ちょっとしたショートショートが分割入稿できてしまうのではあるまいか。まあ、日本の女子高生とかなら、それくらいのヘビーユーザはざらにいるんだろうなあ。さすがにおれの歳になると、一日百通は想像するだけでもつらい。肩がばりばりになるだろう。そんなにメールしなくてはならない用事があるなら、おれなら「あとはパソコンで送るわ」ということになるにちがいない。

 この「反復運動過多損傷」というのがどれくらい怖ろしい障害なのかは知らんけど、高橋名人とかは大丈夫なのかなあ?

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2006年2月23日 (木)

バルタン星人がやってきた

 先週、先々週の『ウルトラマンマックス』第33話・第34話)を観て、封じ込めていた子供のころの欲望がむらむらと甦ってきてしまい、矢も盾もたまらずバルタン星人を買ってしまったのだった。今日帰宅したら届いていたのだ。

valtan01 晩飯もそこそこに、わくわく、いそいそとパッケージを開ける。


valtan02valtan03valtan04valtan05valtan06
 今度のバルタンは子供向けでもすごいぞ。なんたって、目が光るのがいい。しかも、縦方向に振動を与えると、あの「フォッフォッフォッフォッ……」加藤淳ではない)というリアルな(?)笑い声が出る。
 いやあ、バルタン星人は、何度見ても惚れぼれするデザインだねえ。ハサミの開閉はできないけど、肩と肘が動きハサミが回るので、なかなかいいポーズがキマる。

valtan07valtan08 見よ、この雄姿!


valtan09 うしろ姿はちょっとまぬけ。


valtan10 「地球人に告ぐ。四十年かかってもわれわれの侵略がうまくゆかないのは、いつもじゃんけんに負けてしまうからなのだ。フォッフォッフォッフォッ……」


valtan11 食玩の小バルタンと。はい、チーズ。


valtan12 “オキテ破りの倍率”の図。食玩のウルトラマンを赤子のようにあしらう、われらがバルタン星人。

 おれ、今年の秋に四十四歳になります。ええ、長いつきあいですとも。初めてバルタン星人を観たのは、四歳のときだったんですからねえ。

 それにしても、目が光ってフォフォフォと笑うバルタン星人をいまこうして現実に手にしているなんて、夢のようだ。こんなの、タイムマシンで四十年前のおれに持っていってやったら、狂喜して小便をちびるだろうな。なんだかんだ言っても、やっぱりいまはもう二十一世紀なのだよなあ。ビルのあいだをエアカーが飛びまわってないだけで、進んでいるところはちゃんと進んでいるのだ。フォッフォッフォッフォッ……。



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2006年2月22日 (水)

空飛ぶ鯨

The Flying Luxury Hotel
 Tomorrow's cruise ship will sail through the air, not the water
http://www.popsci.com/popsci/whatsnew/18ac893302839010vgnvcm1000004eecbccdrcrd.html

 おおお、これは見るからにすげーなー。むろん、まだ構想段階だけど、こんなのが飛んでたら、下から見るだけでも、なんか和むね。機体の側面には、やっぱり「キドカラー」って書いてないと雰囲気出ないな。

 記事によると、ヘリウムの浮力だけでは全重量の三分の二を浮かせることしかできないそうで、航行中はプロペラで推進する機体全体で揚力を得て、浮力の足しにするんだと。機体がまるごとふつうの飛行機の翼のように働くというわけですな。それじゃあ、離着陸はどうするんだと思うでしょうが、そこはそれ、ジェットエンジンで垂直離着陸するんだそうな。

 おれの生きてるうちにこんなもんが空を飛び回るかどうかはわからんけど、なんとなくまぬけな感じがなんとも言えずいいですなあ。

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2006年2月21日 (火)

お出かけですか?

 あれに人生賭けて取り組んでいる人には申しわけなくて、不謹慎だなあとは思うのだが、どうもおれはカーリングというやつを観ると、「プッ」と吹き出してしまう。ついつい頭の中で「レレレのレー」とアテレコをしてしまうのだ。

 いや、そりゃあ、やってみれば奥が深いのだろうけど、やっぱり面妖な競技ではあるよなあ。とくにカメラアングルが。将棋の対局みたいだ。初めてアレを観たとき、テレビを点けるといきなりアレが映っていて、いったい全体なんの映像なのか、しばらくわからなかったくらいだ。

 ひとつアイディアなんだが、非常に透明度の高い氷を使ってですな、下からアレを撮ったら面白いと思うんだがなあ。あるいは、あのばかでかいおはじきみたいなやつに、重さや空気抵抗が変わらないようにオンボードカメラを付けたら、かなり迫力ある映像が撮れるんじゃなかろうか。ぜひ一考を。

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♪ど〜こかポークへ〜、行〜きた〜い

 「豚汁」をあなたはどう読むだろうか? 「ぶたじる」? 「とんじる」? あるいは、おれが知らないだけで、「ぶたじる」と「とんじる」は異なるものなのだろうか?

 「ぶたじる」と読みたい気持ちは強い。でないと、むかしからみながよく言う「未来世紀豚汁」というネタが成立しなくなってしまうからだ。よく言わないという人は、たぶん読む日記をまちがえていると思う。

 しかし、「とんじる」と読みたい気持ちも、けっして「ぶたじる」派に引けを取るものではない。これが「とんじる」でなくては、むかしからみながよく言う「急いてはことをし豚汁」というのが使えなくなってしまう。なに? よく言わない? だから、そういう人は読む日記をまちがえているんだってば。

 ま、「ぶたじゅう」派とか「とんじゅう」派とかは、よもやいませんよね?

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2006年2月20日 (月)

どう言ったというのでしょう?

 まだ誰もなにも言っていないし、自分もなにも言っていないくせに、いきなり「てゆーかー」で話をはじめるやつがいる。それはそれは、若いやつにたくさんいる。もはや、「……というか」を崩して言っているという意識すらなく、「ええと」みたいな間投詞だと思っているのかもしれない。

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ラフェスタのCM

 最近、日産ラフェスタのCMで、むかし懐かしスパンダー・バレエTrue が女声で流れていて、声フェチとして気になった。オリジナルより、おれはいまCMで流れている声のほうが好きだ。誰がカバーしているのだろう? CMにも名前が出ない。

 そこで調べてみたところ、AIMEE B(エイミー・ビー)という人が唄っているそうな。アマゾンで調べても出てこないので、Google であれこれ試してようやくたどり着いたのが、ダグミュージックという会社のサイトである。「TV コマーシャルスタジオシンガーのブッキング」などなどをやっている会社だということで、このサイトの「ダグアーティストCM作品」に“AIMEE B”の名が見える。どうやら、ソロではまだ無名のスタジオシンガーらしい。「LUXスーパーリッチ」「Volvic」「Tialence サウンドロゴ」「ソニーサイバーショット」など、おれも何度も聴いているはずの声だ。なんだ、この世界ではけっこうメジャーなのかな?

 たぶん、ラフェスタのCM用の True は、サビのところしか唄ってないような気がする。全曲唄って、CD出しておいたほうがいいと思うけどな。声フェチの勘なんだが、この AIMEE B の True は、きっとオーバーシュートするぜ。日産の思惑を超えるだろう。このCMでスパンダー・バレエを知った比較的若い世代をはじめ、八十年代ポップスをよく知っているおれたちの世代からも、「あのCDは出さないのか?」と、いまごろ日産に問い合わせが殺到しているのではなかろうか。True のサビのところは、典型的な“頭の中で回る歌”なんである。それに、AIMEE B は、この曲によく合った品のいい(ある意味、個性の弱い)声をしている。個性の強い声のシンガーがしばらくメディアを埋め尽くした感があるので、いま、こういう声が清涼飲料水のようにウケるフェーズに来ているのではないか。

 それはともかく、このCMのせいで最近 True のサビのとこだけが頭の中を回っていることがよくあって(スパンダー・バレエはそれほど好きじゃなかったから、なにしろCMでやってるあそこしか知らんのだ)、風呂などで鼻歌を唄っていると、途中で歌が変わってしまう――

 ♪Huh huh huh hu-uh huh
  I know this much is true
  Huh huh huh ハァ〜, ハァ〜
  ハクショーン大魔王〜

 余談だが、スパンダー・バレエって、たしかダイアナ元王妃がファンでしたな。

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2006年2月19日 (日)

恥ずかしいコスチュームのエビちゃん

 おれのウェブサイトのキラーコンテンツ(?)のひとつに、「超目玉企画! ほんものの真中瞳ヌード&入浴シーン」というやつがあって、いまだに引っかかって来てくれる人があとを立たないのだが、まだ誰も怒ってメールしてきたことはないし、本人や事務所からも抗議はない。

 で、同系列のネタ、第二弾をさっき思いついた。「恥ずかしいコスチュームのエビちゃん」である。これはまあ、わざわざ自分のサイトに作るまでもないわな。リンクですむ。どっちかというと、「恥ずかしいエビちゃんのコスチューム」と言ったほうが正確かもしれん。

 でもこれ、ちょっと欲しいよな。ちょっと欲しいだけであって、むろん買う気はない。こんなもの買っても、SF関係のコンベンションくらいしか着てゆくところを思いつかない。名古屋での催しなどにはマジでいいかもしれないが、これで電車に乗ったりすると、しっぽや触角が他人の迷惑になりそうだから、やめておいたほうがいいだろう。

 だいたい、こんなものを買ったら、母や妹や姪からなにを言われるかわかったものではない。いや、わかりすぎるくらいわかっている。「こんなもん買うお金があったら、まず、まともなふつうの服を買うたらどうや」と言われるにちがいない。

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死骸を食うこと

 いま、焼きうるめいわしを食いながら、いいちこのお湯割りを飲んでいる。おれの母なんぞは魚が嫌いで、とくに生きているときとほとんど同じ形をした魚は絶対に食べられない。そのくせ、エビやらカニやらは、どう見ても虫みたいなおどろおどろしい形をしているのに、平気でばりばり引き裂いて食う。好き嫌いというのは不可解なものである。

 そこで、ふと考えた。おれたちは基本的には、動植物を問わず、ほかの生きものの死骸や組織の一部を食っている。食わないと生きてゆけない。だが、いずれは食物をすべて人工的に作り出せる技術を持つだろう。必要な物質を組み合わせて、“天然もののマグロよりもうまくて栄養価の高い、天然もののマグロの組織の一部を模した(というか、そのものである)肉片”を作り出したりできるようになることだろう。

 さて、そのような技術を手にしたとき、人はほかの生きものの死骸を食わなくなるだろうか? つまり、ブツとしては、天然の中トロと人工の中トロは、その組成も構造もまったく同じもの、いや、それどころか、人工の中トロのほうが食品としては上質であり汚染物質も含まれていない……という世の中になった場合、わざわざ生きものを殺して食うことをしなくなるだろうか、という疑問なのである。

 おれが思うに、たぶん、それでも人間は生きものの死骸を食いたがるだろう。食いたがる人間が残るはずだ。せっかく同じものが人工的に作れるようになっているのに、「天然ものは、やっぱりちがう」とかなんとか言って、天然ものに対する信仰を全うしようとする人種は根強く残ると思う。どこがどうちがうのか、すでに人間の感覚では判別できなくなっているというのに。食いものに限らず、人格を認めてもよいほどの“強い人工知能”が出現するなどしたとしても、きっと「天然ものが上」という信仰は残るだろう。これは科学技術の問題ではない。文化人類学の問題である。

 もっと極端に考えを進めてゆくと、人類が種として滅びずに、知性として大成功し、いずれは“宇宙をも作り出せる”技術を持ったとしても、やっぱり「これだから“養殖もの”の宇宙に生まれた知性はいけねえ。人情の機微というものがわかってねえ」などと言い出すやつは、やっぱり残っているような気さえするのである。

 もっとも、生きものを殺さずとも食物を完全に人工的に作り出せる技術を人類が持ったとしても、あえて生きものの死骸を食べ続けるべきだという思想が成立する可能性もある。生きものの死骸を食うことによって、自分たちを生み出したこの宇宙への繋がりと感謝の心を保持すべきであるといった思想だ。それもアリだろうとは思う。その場合、天然ものにこだわるということは、根拠のない保守反動思想ではなく、自分たちのありかたを積極的に選び取る文化、思想として尊重されるべきだと思うのである。「こうしてご飯が食べられるのも、ほかの生きものが死んでくれたおかげだ」と常に意識しているのは、存外に大切なことではないかという気がするのだ。





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2006年2月18日 (土)

怪獣を飼う男

eleking 今日、うちのエレキングの“電助”が、初めてお手をした。ビリビリ痺れて気持ちがいい。この前の雨の日、「かわいがってやってください」と書いた紙きれと一緒に、キャラメルの箱の中で震えているのをボクが拾ってきたんだ。お母さんは飼っちゃだめって言ったけど、近所のメトロン星人のおじさんがお母さんに幻覚を見せて説得してくれたんだ。

 電助はとてもよく食べる。最初はとても小さかったのに、このぶんだと、ひと月もしないうちに五十メートルくらいになってしまいそうだ。今月の電気代が心配だなあ。

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2006年2月17日 (金)

♪飛んで飛んで飛んで飛んで……回って回って回って回る〜

 ふー。帰宅して飯食って風呂入ったら、こんな時間になってしまった。テレビではこんな時間だというのにオリンピックをやったりしている。夜中だというのに、やっぱり運動してる人たちは元気だなあ。

 男子フィギュアスケートのスケーターたちをぼんやりと観ていて、ふと思う。将来、たぶんスペースコロニーとか月面とかでオリンピックのようなこともやるにちがいないが、たとえば、いまわれわれが地球上で観ているようなフィギュアスケートを月面でやったとしたら、何回転くらい回れるものなのだろうか? 宇宙服などは着ずに、ふつうに呼吸ができる居住空間でいまと同じ服装でやるとすると、当然、空気抵抗はあるわけだから、何百回も回れるとは思えない。存外に少ないような気がする。誰か適当な条件を想定して概算してみませんか。

 まあ、宇宙時代のフィギュアスケートともなると、三回転だ四回転だと、いちいち回転数を数えて競ったりはしないのだろう。「出ました、三十三と三分の一回転!」「四十五回転、決まったーっ!」などと言っていたら、むかしのレコードじゃあるまいし、実況アナウンサーもたいへんだ。そういう技はいっそ「フライングドリル」とでも呼んだほうがわかりやすい(なにが?)。

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2006年2月16日 (木)

ここは日本を代表する始末書のひとつ?

 このブログのアクセス解析機能でリンク元ランキングを見ていると、どこかで見たようなURLがある。行ってみると、堀晃さんのブログだった。おれのところにリンクを張ってくださっている。おお、もったいなや、もったいなや。

 おれは単に自分のブログにヘンなキーワードでやってくる人を面白がっていただけなのだが、さすが堀さんともなると、ヘンなキーワードで検索するほうになってやろうという発想になるのがすごい。堀さんが訪れた先のウェブページの主がアクセス解析をしていて、検索語の中に「見なければよかった」などというのを見つけたとき、大いに首を傾げることであろう。「いったい全体、この検索をした人は、なにを求めてウェブをさまよっていたのだろう?」と、いまごろ不思議で眠れなくなっているやもしれない。けけけけけ。

 あれからも、このブログにやってきた人が用いた検索語には、「始末書 自動車事故」「始末書 居眠り」などが出現し、どうやら世の中の人は始末書ばかり書いているらしいことが徐々に判明してきている。

 試しに、Google で「始末書」を検索してみると、おれの旧日記やこのブログがえらく上位に来るではないか。なにか不始末をしでかしてしまった世間の人は、非常に高い確率でおれの日記を見つけてしまうわけである。始末書業界では知らない人がないくらいになっているのではないかと、ちょっぴり不気味だ。まあ、日記のタイトルに「始末書」なんて文字列を使う人は、あんまりおらんだろうなあ。

 SFファンでない読者の方々にいま一度ご説明しておくと、おれの日記のタイトル『世界Aの始末書』は、むかしサンリオ文庫から翻訳も出ていた、ブライアン・W・オールディス『世界Aの報告書』 Report on Probability A をもじったものである。なにやら何重にも入れ子になった、いかにも前衛前衛した頭でっかちな小説だったと記憶しているが、タイトルはすごくかっこいいなと印象深かったのだ。まあ、ちょっと変わった本を話のタネに読んでみるのが趣味という方になら古本屋で見つけたら読んでみるのも一興かとお薦めするが、そうでない方には、とくにお薦めいたしません。はっきり言って、書き手にも感情移入し、手法も読んで楽しんでみたりするタイプの不純な読者以外には、退屈なこと請け合いの本である。

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2006年2月15日 (水)

君の名を呼ぶ、オリンピックと

 今回のオリンピックはなんかもの足りないと思っていたら、恒例(?)の珍名選手が見当たらないのよなあ。毎回、「えっ」と息を呑むような名前の選手がひとりやふたりはいて、スポーツの祭典を盛り立てているではないか。いやまあ、本人は盛り立てているつもりはまったくないだろうし、日本人が聞くと驚くような名前でも、その国ではよくある名前だったりするらしいし、そもそも人の名前をあげつらって面白いおもしろいというのも失礼な話であって、品のないことおびたたしいにはちがいないのだが、それにしても、マルタ・ボボ級の選手はもう出ないのかと思うと哀しくなる。

 アホネンはどうしたんだ、アホネンは? 今回出てたっけ? とくに北欧とかあそこいらへんの名前には、なんたらネン、かんたらネンというのが多くて、関西人が聞くと、脳が勝手に反応してしまうところがある。スッキャネンとかソーデンネンとかが、いつ現れてもよさそうな感じじゃないか。チャウヤンカとか、シットルケとか、モーネーヘンとか、イツヤネンとか、マダヤネンとか、デキタンチャウカとか、ソヤカラアカンユータヤンとか、ソナイナコトイワレテモシルケとかが、雪を蹴立てて颯爽と滑ってきそうな気がしませんか。

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2006年2月14日 (火)

『企業倫理とは何か 石田梅岩に学ぶCSRの精神』(平田雅彦/PHP新書)

 江戸中期の商人学者、石田梅岩が説いた“商人道”である石門心学に、今日言うところの Corporate Social Responsibility(CSR)の源流を見てゆく本。CSRのみならず、コンプライアンス、コーポレート・ガバナンス等々、いまわざわざ外国語で呼んでいる概念、今日のビジネス書を新しげに賑わせている概念の数々が、神道・儒教・仏教を独学しながら商家で商人としての実践的修行を積んだ石田梅岩によって、商人の道として平易に説かれていることを梅岩の原文と照らしながら紹介してゆく。

 これがけっこう面白いのである。この面白さはなんなのだろうとよくよく考えてみると、似たような面白さに触れたことがあるのに気づいた。道元の時間論はハイデガーのそれを先取りしていると紹介してゆく類の本の面白さに似ている。つまり、自分にはいわゆる“愛国心”などはほとんど備わっていないと思っていても、こういうのを読むと、なんとなく「日本人も捨てたもんじゃないじゃんか」という快感を覚えてしまうわけなのだ。べつに石田梅岩がマジャール人であろうが道元がイヌイットであろうが、彼ら個人の思想の価値が変わるわけではなく、彼らはたまたま日本人であったにすぎないのだが、正直なところ、うっかり快感を覚えてしまうのは事実なのだ。この快感は読書のうえでは邪魔なので、「ああ、気持ちいいけど、虚しい快感だよなあ」とちゃんと意識しつつ、この面白さを味わうのがよいと思う。

 それは別として、人がなんらかの形で商売をして、人様からお金をいただいて飯を食ってゆくということは、つまるところどういうことなのかを、すれっからしの大人がいま一度、ゼロから考えてみるのには、とてもよい本だと思う。会社というところにいると、あんまりそういうことを考えなくなってしまうのだ。

 かくいうおれも企業から金をもらって生活している――という言いかたが語るに落ちていて、すでにしておかしい。金をくれるのは企業じゃなくて、そのお客様である――わけであるから、企業とはなんなのかと時折考えないでもない。ぶっちゃけた話、おれは企業を大きな“モビルスーツ”だと思っている。個人ではとても出せない力を発揮して個人の能力を増幅する便利な道具だが(もっとも、個人にならいとも簡単にできるのに、なぜか企業にはできないこともしばしばあるけど)、それを“着ている”と、犬ころの一匹や二匹、いや、人間のひとりやふたりうっかり踏み潰してしまっていても、まったく気づかないことがある。便利だが危ないスーツだ。企業倫理というのは、たぶん、その諸刃の剣であるモビルスーツの好ましい着用のしかた、機動のしかたを考えるところから出てくるんだろうとおれは思う。犬を踏み潰すのはやむを得ないが、人間踏み潰しちゃまずいでしょうとか。犬を踏み潰すのをやむなしとするにしても、踏み潰された犬の命に報いるだけの価値を社会にもたらすモビルスーツの使いかたをしたのかとか。そもそも、ちっぽけな個人の力を増幅しているその“力”は、どこからかすめ取ってきているのかとか。エネルギーは保存されるんだから、スーツの力が虚空から湧いて出てきているわけではないはずなのだ。

 ちょっと警戒してしまうのは、梅岩の思想を“心学”と呼んだとたんに、宗教的なカラーがついてしまうところ(まあ、本人は宗教で大いにけっこうと思っていただろうけど)。おれはその宗教性はあまり評価しない。あくまでも合理性の追求としての“商人道”の体系が、おのずと現代の経営の問題にもストレートに光を投げかけてくるところが痛快なのである。

 倫理というものは美意識だ。美意識の最大の弱点は、それを持っていない者、それを異にする者には、なにを言おうがまったく通じない点である。つまり、倫理というのは、自分が持つものであって、人に持たせられるものではないということだ。だからこそ、CSRのキモには“自発性”が入っているのだろうけれど、“自発性のない者は自発性を持つべきだ”というのは、論理的に矛盾しているのである。合理性を突き詰めていった結果、それがほとんど倫理と重なるような社会というのが、いつの日か来ればいいなあとおれは思っている。その点、石田梅岩の思想は充分に合理的であり、こんな人が江戸時代にいたというのは、まことに心強いことだ。梅岩はいいSFファンになれたかもしれない。



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2006年2月13日 (月)

重い検索語

 先日のエントリー「なにを求めて、人はさまようのか」で、このブログを発見した人が用いた奇妙な検索語に驚いていたおれであったが、今日また(正確には昨日だが)、不思議な検索語を発見した。

「人生の意味」

 そ、そんなものを検索エンジンで探されても困る。ましてや、おれのブログに来てもらっても困る。どちらかというとここは、そういうものを見つけるには最も不適切な場所ではないかという気がするんだが……。

 まあ、「人生、宇宙、すべての答え」だったら、「42」だと答えてあげることはできるけどなあ。

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2006年2月12日 (日)

「へたり牛」と「へたれ牛」

 最近、ニュースで「へたり牛」というのを耳にするたび、「へたれ牛」に聞こえて笑ってしまう。

 世間にもそう聞こえてしまい笑っている人がたくさんいるにちがいないと思い、試しに Google で「へたれ牛」を検索してみると、案の定、わらわら出てくる。

 ところが、ギャグではなく、真面目にBSEの疑いのある歩行困難な牛を指して「へたれ牛」と言っている人も少なくはないのであった。うーむ。マスコミでも最初のころは「へたれ牛」とか言ってなかったっけ? どうもそんな気がするぞ。

 根性のない情けないやつ、箸にも棒にもかからぬダメなやつといった意味の「へたれ」という言葉が全国に広まったのは、おれの記憶では比較的最近のことだと思う。たぶん「屁たれ」と書くのだろう。関西の芸人がよく使っているが、関西弁なのかな、これ? おれは三歳のときから関西に暮らしているが、身のまわりで聞くようになったのは、やっぱり近年のことだ。子供のころには、周囲の人は誰も使っていなかった。元々はどこの言葉だろう?

 それにしても、病気で歩行が困難になっているかわいそうな牛なのに、根性のないダメな牛であるかのごとくに言われてしまうのだから、牛もたまったもんじゃないわなあ。畜産の現場の人たちは、ほんとうはどう呼んでいるのだろう?

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テレビはトリノオリンピックばっかり

 おれがむかし今井メロだったころ、兄さんはドームで弟はグリムだった。いぇーい。いちばん上の姉さんは大メロで二番めの姉さんは中メロだった。いぇーい。妹は赤身だった。いぇーい。爺さんはガロで、ご先祖はマロだった。いぇーい。わっかるかなー? 若い人にはわっかんねぇだろなー。笠谷選手が飛んでるのをリアルタイムで観ていたくらいの人には、わっかるだろーなー。幸生のほうだ、いぇーい。

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2006年2月11日 (土)

SF俳句が詠めた

 笹公人の向こうを張るつもりでもないのだが、なぜか突然、SF俳句みたいなものが頭に浮かんでしまった。短歌でかなうわけがないから、俳句で勝負だ(大きく出たな)。生命の神秘と人類の幼年期の終わりを詠んだものだ。

生きたまま 脳に届いて 殖えて効く

 われながらすばらしい。オリジナリティーが迸っている。

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2006年2月10日 (金)

緑色でいるのも楽じゃない?

 ウェブで海外のニュースなどを観ていると、最近、フォードの Escape Hybrid のCMに“かえるのカーミット”が出てくるのでゴキゲンである。フォードのサイトでいつでも観られるので、カエラーの方はぜひご覧あれ。

 カーミットがCMで唄っている It's Not Easy Being Green は、ほんとに元から彼の“持ち歌”で、The Rainbow ConnectionThis Frog などと並んで、アメリカ人には非常によく知られている。マペットの生みの親で、カーミットの初代声優でもあったジム・ヘンソンの本のタイトルにもなっているくらいだ。だもんだから、"I guess it IS easy being green." とカーミットに言わせて、環境にやさしいというハイブリッドカーのウリをアピールしているわけだ。そういうネタをCMでやっても、アメリカの視聴者がふつうにわかるくらいに、人口に膾炙している歌なのである。

 いやあ、だけど、こんなもんが何度でも観たいときに観られるなんて、いい時代になったもんだよなあ。おじさんの子供のころはなあ、テレビの『セサミストリート』をカセットテープに録音して、カーミットの声だけ聴いていたもんじゃ。それにしても、二代目カーミットの声優さん(スティーヴ・ホイットマイア)は、完璧だよね。ほんのちょっとだけ、ジム・ヘンソンのほうが深みのある声だったようにも思うんだが、初代と二代目の声をランダムに繋いで聴いたとしたら、おれには区別がつかないだろう。よっぽどカーミットが好きで、ものまねばっかりしてたんだろうな、この人。栗田貫一がルパン三世をやってるようなもんか。いや、カーミットはあれ以上だ。

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2006年2月 9日 (木)

思い込んだら試練の道を

 まず、道路脇のアスファルトを剥がし、そこに大きな穴を掘る。穴が掘れたら、そこにすっぽりと入る。入ったら、上からアスファルトで舗装し直してもらう。まだアスファルトが軟らかいうちに、えいやっと下からぶち破って、上半身を道路上に出す。アスファルトが固まるのを待つ。

 ただそれだけで、あなたは“ど根性人間”として多くの人にもてはやされ、死にそうになったらクローンまで作ってもらえる。以て冥すべしである。人生の意味に悩んだら、一度お試しあれ。

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真冬の自殺行為

 ひと冬に何度かはしてしまうと思う。両手がふさがっていたり、歩きながらさりげなくボタンを外すのが間に合わなかったりするときだ。それはそれはたいへんなことになる。襟の開いたところから、なんとも言えぬ異臭が立ち昇ってくる。

コートを着たまま屁をしてはいけない。

 いけない。絶対にいけない。

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失われゆく生活実感

150万円分のポイントカード偽造 女子大生ら5人逮捕
http://www.asahi.com/national/update/0207/TKY200602070435.html

 これには笑ったなあ。というか、じつに嘆かわしい。有価証券偽造もたしかに嘆かわしいにはちがいないが、それよりもなによりも、“スーパーで一億五千万円の買いものをしたことになる”というのがいかに不自然なことか、高校生(当時)にもなってわからんかったというのが、嘆かわしいことおびただしい。いくら五人がかりでも、そんなお得意さんがほんとうにおったら、絶対店員と顔馴染みになってしまっているはずである。スーパーなんてものは、たいてい日常生活圏にあるもんだ。何軒もスーパーをはしごしたことにしたとしても、限度ってもんがある。スーパーで一億五千万使おうと思ったら、安売りで八十八円の「きつねどん兵衛」百七十万四千五百四十五個も買わなければならんのだぞ。

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2006年2月 8日 (水)

「おすすめ本」コーナーについて

 昨年、〈SFマガジン〉から八年ぶりの「オールタイム・ベストSF」を選べと言われて大いに悩んだ。五つしか選べないのである。そんなもん、SFの面白さというのは、あんなのもあればこんなのもありそんなのもあればどんなのもある。五つで足りるものか――という意見がおれのまわりでは多かった。まあ、その選べないものを選ぶところが面白い企画なのだというのはよくわかっていても、やっぱり著しいフラストレーションが残る。

 で、ブログをはじめてみて、アフィリエイトの機能が本の紹介に使えることに気がついた。いやまあ、紹介料をたんまり稼ごうというのなら、売れていそうな本、売れそうな本ばかり貼りつけておけばよいのだし、そもそも本などという単価の低いものではなく、電化製品とか車とか自家用ジェットとか家とかを紹介したほうが金儲けにはなるだろう。それはもう、それで稼いでいる方々にお任せする。

 おれとしては、常々あんまり話題にはしないが、“売れてほしいとおれが思う本”をべたべたと思いつきで貼りつけて、どんどん変えてゆくことにした。このブログを開けばせっかく“常時表示される”のだ。たまたまやってきた不運な旅人に道を踏み外させ、SFの冥府魔道に転げ落とす穴をいっぱい仕掛けておきたい。食虫植物か、このブログは。

 というわけで、このブログの左欄にある「おすすめ本」では、最近読んだ本ばかりではなく、常にオールタイムのつもりで、おれが読んだことのある本の中から、新旧ごちゃごちゃにいろんなものを紹介してゆくことにする。よろしく。

 しかし、「あ、あれを貼りつけておこう」と思ってアマゾンで調べると、「発送可能時期:出品者から通常2営業日以内に発送します」になっているものが存外に多いことに改めて驚いた。つまり、古本でしか手に入らないのだ。『幻詩狩り』(川又千秋/C・novels、中公文庫)が古本屋でしか探せないなんて、世の中まちがっとるよ。日本SF大賞受賞作だぜ。まあ、日本SF大賞受賞作の中には、そういう本が少なくないけれども、比較的最近の『サラマンダー殲滅』(っつっても、十五年前か)ですら、ノベルスでも文庫でもアウトだ。近年の梶尾真治ブームに便乗して商売しようという企画はないのかなあ? まあ、映画化されたりして“一般世間”にウケている梶尾真治の一面とは、ちょっとちがうカラーの作品ではあるけれども、カジシン流の“泣かせ”が入ってるとこだっていっぱいあるじゃんか。なんだったら、『サラマンダー殲滅』を映画化しないか? トビナメのストラップとか売り出せば、キモカワイイとかいってウケるかもよ。

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2006年2月 7日 (火)

『ホーキング、宇宙のすべてを語る』(スティーヴン・ホーキング、レナード・ムロディナウ/佐藤勝彦・訳/ランダムハウス講談社)

 去年の秋に出た本だけど、ちびちびと半端な時間に読んで、やっと読み終えた。「宇宙のすべてを語る」とは、どえらく大きく出た邦題だが、原題は A Briefer History of Time 、つまり、十数年前のベストセラー『ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで』 A Brief History of Time を、さらに簡潔に、また、最新の知見を反映させて、一から語り直しているものである。「前のも読んだが、あれでも専門的すぎてわかりにくかった」という方にはおすすめ。今回はサイエンスライターとの共著なので、リーダビリティーはぐんと上がっている。

 一般読者向けに読みやすく、しかし、深みを損ねないように(簡単に説明することで本質を曲げてしまわないように)現代物理学・宇宙論を語っているので、科学に関心のある文科系読者が自分の知識を整理するのに持ってこいである。最初のうちは、「なんだ、ほんとにほんとの初心者向けだなあ」と思っていたけれど、読み進むうち、「ああ、こういうふうにも言えるのか」と理解が深まったことがいくつかあった。

 どうもスティーヴン・バクスターやらグレッグ・イーガンやらの小説が苦手だという方も、物理や宇宙について本書程度の大枠の知識を持てば、ハードSFがぐんと面白くなるにちがいない。SFを電卓で計算しながら読むような理科系読者には、あきらかにもの足りないと思うけれど、門外漢にイメージを伝える説明のしかたの参考にはなるんじゃなかろうか。

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なにを求めて、人はさまようのか

 そういえば、このあいだ、このブログの「検索フレーズランキング」を見ていたら、こんなのがあった――

「始末書 印刷事故」

 ドラマを感じた。なにか深〜い事情がある人が救いを求めて検索エンジンで検索をしていて、たまたまおれのブログへやってきたのだろう。なにがあったのかは知らないが、とりあえず、お気の毒としか言いようがない。それにしても、「印刷事故」の話なんて書いた覚えなどないんだが、どうしてヒットしたんだろう?

 自分のブログへの検索語リストを眺めている人を語り手にして、ほとんど検索語だけでできている短篇小説が書けるのではないかと一瞬思ったんだが、よく考えたらそれは、むかし書いた「自動販売機」の焼き直しみたいなもんだ。まあ、よっぽど面白い捻りかたでも思いついたら書いてみようかな。

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2006年2月 6日 (月)

『超妹大戦シスマゲドン(1)』(古橋秀之/ファミ通文庫)

 ある人に薦められて読んでみたのだが、ものすごい世界があるんですなあ。たぶん“妹萌え”の人にはたまらんのだろうと思うが、おれは残念ながら妹萌えな人ではない。なにしろ、おれの妹はもう四十を超えたおばはんだ。統計的データではないが、どうやら現実に妹がいる人には、妹萌えがわからない人が多いようだ。

 どういう話なのか説明しようとすると胃が痛くなってくるので、概略が掴みたい方は、著者本人のサイト「高橋メソッドによる『超妹大戦シスマゲドン』の宣伝」というのがあるから、そちらをご覧いただきたい。見てもやっぱりわからないかもしれないけど。

 それはともかく、古橋秀之といえば、おれ的には“『サムライ・レンズマン』を書いた人”という認識であって、こりゃあタダモノではないとは思っていたのだが、こういう方面でもタダモノではなかったのだなあ。ドタバタというよりは、ハチャハチャに近い。最初、頭痛がしてくると思うが、半分くらい読むころには脳が麻痺して、なんだか心地よくなってくる。おれの世代の人なら、『マカロニほうれん荘』のノリに通じるテンションだと言えば、感じは掴んでいただけるだろうか。だいたい、ファミ通文庫なんだから十代の読者を想定しているはずなんだけども、どう考えても想定読者層には通じないであろうギャグが連射される。本人もかなり楽しんで(というか、悪ノリして)書いてるのだろう。「チキチキシスター猛レース」って、あのね……。まあ、最近は、映像作品に関しても“同世代”という概念が崩れてきているから、もうそういう意味での読者層なんてものを想定する必要はないのかもしれない。『怪奇大作戦』を観て岸田森のファンになった」とか『妖怪伝 猫目小僧』の“ゲキメーション”って斬新」とかいう若い人だっておりますからなあ。

 けっして万人にはお薦めはしないが(十人くらいにならお薦めするかもしれん)、たまには自分の単調な読書生活の殻を破ってみたい(?)という立派な悪ノリ好きの大人なら、自己責任でお読みになってみるのも後学のためにはよろしいのではないかと……。

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あ、「○○と××くらいちがう」が一句でけた

 「AK-47AKB48くらいちがう」

 うん、これは日常会話で気軽に使えるな。わかりやすい。

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2006年2月 5日 (日)

十万円、七万円、五万円、運命の分かれ道

 昨晩、近所のディスカウントショップに、食いものの買出しに行った。こまごまとしたものを買って、レジで清算。おおおおお、これはなんと――

・きつねどん兵衛  5コ × @88  ¥440
・黒のトッポ  ¥138
・カップヌードルSio  ¥118
・カップヌードル シーフード  ¥118
・カップヌードル カレー  ¥118
・卵  ¥155
・野菜ジュース  4コ × @100  ¥400
・さとうのごはん 3P  2コ × @298  ¥596
・Big プッチンプリン  3コ × @98  ¥294
・ヒガシマル ちょっとぞうすい(カニ) 2P  ¥138
・永谷園のお茶漬け海苔 8P  ¥168
・ミニ玉子豆腐 3P  ¥100
・うどん玉  ¥25
・うどんだし 280g  ¥50

receipt しめて、3,000円ジャスト! これはすごい。狙ったわけでもないのに。

 これで三千円はチャラになり、賞金として十万円もらえれば言うことはないのだが、「なんとなく嬉しい」という以外には、なにをどう得したわけでもない。どのくらい嬉しいかというと、テレビのちがうチャンネルでまったく同じCMを同時にやっているのに遭遇した程度の嬉しさだ。ちりめんじゃこの中に小さなタコが入っているのを見つけたときの嬉しさには、やや劣るような気がする。

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加減ちゅうもんを知らんのか

Lawsuit: iPods may cause ... eh?

http://www.cnn.com/2006/LAW/02/01/ipod.suit.ap/index.html

「iPodは難聴を引き起こす」として米国で訴訟

http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20060203101.html

ipod 訴訟社会アメリカの一部のアホどもには、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということを教えてやらねばなるまい。そんなバカなことに貴重な時間と労力を費やしておるとだなあ、しまいにこんなふうになってしまうぞ。

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2006年2月 4日 (土)

潜入24時!! これが落花生撒きの真実だ!

 先日のエントリー「所変われば豆変わる」にトラックバックをいただいた東北フォーラムに行ってみると、なるほど、たしかに落花生が撒かれている。雪の中に散らばる落花生。なんという面妖な……いや、叙情的な光景であろうか。東北というのは不思議なところだなあ。まあ、みなが同じ方を向いて黙々と巻き寿司にかぶりつくほうが、客観的にはよほど不気味な光景ではあろうけれども……。


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《ご漬け》シリーズ

 なんかテレビでしょっちゅうCMをやってるニンテンドーDS用の『えいご漬け』ってソフトが売れてるみたいで、おれの妹が先日来たときも、DSを持っている姪たちと「買おうか」などと相談しているという話をしていた。そういえば、正月に姪が『もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』をうちに持ってきて、婆さん(というのはおれの母だが)が孫に無理やり「ぱぁ、ぱぁ、ちょき、ぐー、ぱぐー、ぐぁあ、ちょわー!」とか言わされていた。ボケ防止にはいいかもしれん。おれもやらされたが、おれの脳年齢は松嶋菜々子より上だった。まあ、マイクの感度が悪いのだろう。そうにちがいない。

 それにしても、妹よ、おまえ、英語はおろか、日本語だってなんだって、とにかく勉強と名のつくものは大嫌いだったじゃろうが。そんなおまえが「えいご漬け」って、うーむ、ゲームおそるべし。なんで子供のころに、学校のアレはアレでゲームであって、ほんとうの“勉強”はもうちょっと別のところにあると気づかなんだかね? ま、ほんとに買うのかどうか知らんけど、四十過ぎたおばさんが、むかしやり損ねたことを娘と一緒に遊びながらやるのも、傍目にはなかなか微笑ましくてよい。少女老い易く学成り難し、大タコに教えられアーサー・C・クラークと、むかしの人も言うておる。

 しかし、ああいうのが売れるんなら、『らくご漬け』とか作ってほしいよな。米朝やら春團治やらを“聴き取り”ながら、スクリーンにテキストを書いてゆかねばならんという過酷なゲームだ。なにせ落語だから、きっと漢字とか難しいぞ。読めても書けないぞ。枝雀のも入っていたら、『えいご漬け』と『らくご漬け』の一石二鳥である。

 漢文が勉強できる『ろんご漬け』、十八禁の『わいご漬け』『いんご漬け』、あなたも政治家になれる『もうご漬け』なんかもいいな。わかる人にはわかる『なっちご漬け』なんて高度なゲームとなると、大量の洋画を観ながら翻訳して字幕を書かされにゃならんかもだ! トレッキーのための『くりんごんご漬け』、森岡浩之監修の『あーう”ご漬け』などのシリーズ化も期待したい。

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2006年2月 2日 (木)

革命的馬鹿者

「コペルニクス的ばか者」 ヒューザーの提訴に横浜市長

http://www.asahi.com/national/update/0202/TKY200602020528.html

 「コペルニクス的ばか者」ってのは、なかなかすごい言語感覚だと思う。わかるような、わからないような。ちょっと聞くと、コペルニクスが代表的馬鹿者として例示されているみたいだが、たぶん“ふつうの馬鹿者とは180度ちがう視点で馬鹿者である、とんでもない馬鹿者”という意味なのだろうと思う。たしかに、あの社長の論理には、いっそ感心してしまうよなあ。

 「ガリレオ的馬鹿者」ってのがいたとすると、それはいったいどういう馬鹿者なのだろう? 「ニュートン的馬鹿者」「アインシュタイン的馬鹿者」「ボーア的馬鹿者」「ハイゼンベルク的馬鹿者」などなどをそれぞれ横浜市長的に考えると、そいつはいったい馬鹿者なのか賢者なのか、よくわからなくなってくる。

 「ゲーデル的馬鹿者」ってのはすごいぞ。無矛盾な公理系には馬鹿者か馬鹿者でないかが決定できない命題が少なくともひとつは存在するくらいの馬鹿者なのである。どんな馬鹿者なのか、なんだかわくわくする。

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今月の言葉

恵方ロケーション

 節分の日に巻き寿司を食うとき、恵方がどっちだったか超音波を発して探ること……だと思う、たぶん。

 おれのウェブサイト本体で長年やっている「今月の言葉」を、一応、こっちでもやることにした。こっちだけ見てくださっている方も多いだろうからだ。妙なもので、「今月はあんまり出来がよくなかったな」と思っているときにやたらウケたり、自信作があんまりウケなかったり、こういう一発ギャグには好みがはっきり出るものなのだなあと勉強になる。なんの勉強だ?

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おれには論理がわからない

 迷子になったらなんとしょう? 

 じゃなくて。

 いや、歳を食ったせいか、どうも最近おれは論理を把握する能力が衰えてきているのではないかと、かなり不安になってきた。というのも、このところ、おれにはさっぱりわけのわからない論理が、あたかも自明の理であるかのごとくにいけしゃあしゃあと展開されているのを立て続けに目にするからである。あんまりしゃあしゃあとしているので、おれのほうがおかしいのではないかと思えてくるわけなのだ。

[その1] 交通法規を破って好き勝手に車を走らせていた男が逮捕されたというだけのことで、テレビに出ている“識者”というふれこみの人が、「ほうら言わんこっちゃない、そもそも自動車なんてものが諸悪の根源なのだ。車に頼る姿勢がいかん、そういう文明そのものがいかん。歩け、みんな歩け!」といった説教を垂れる。たぶん、その識者さんは、しょっちゅう車に乗ってあちこちのテレビ局やら講演会場やらへ行き、お金を稼いでいるのだろうと思うのだが……。

[その2] ある男が飲酒運転で事故を起こし、大勢の歩行者に大怪我をさせてしまった。彼は事故の直前、自動販売機で酒を買ってしこたま飲んだのだった。そのまま運転していると、検問をやっているところにさしかかった。ところが、警官は彼が酒を飲んでいることを見抜けなかった。そのあと彼は事故を起こしてしまったわけであるが、「酒を飲んだ人間を見抜けずに通してしまった検問所の警官がたるんでいる。いちばん悪いのは警官だ。自分はむしろ“酒を飲んでいるのに検問所を通されてしまった”被害者だ」とほざいた彼は、警察を相手取って損害賠償請求訴訟を起こし、「もし賠償金が取れたら、事故の被害者の治療費や生活保障金に充てたい」と、まるで自分がいちばんよい人であるかのようなことを言う。

 ああ、わからん。おれにはわからん。やっぱり、四十も過ぎると、かなり脳が衰えてきているのにちがいない。ああ、おとといの晩ごはんはなんだったか思い出せない。100ひく7は……ええと、100ひく7は……ひゃ、100ひく7わっ――!?

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鷲尾いさ子も若かった

 ♪ソーレソーレ、鉄骨減量〜

 ……ってのを思いついたのだが、ネタがあまりにも古すぎる(-_-;)。

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2006年2月 1日 (水)

安めぐみのいるはずの場所

 最近、アサヒの若武者って茶のCMに安めぐみが出てくるので、こいつがはじまるとテレビの前に跳んでゆくのである。いやなに、安めぐみなんぞ、しょっちゅう見ている。おれの部屋のカレンダーは安めぐみだ。このCMの安めぐみは特別なのである。萌える。若ぶってこのような言葉を使いたくはないが、ほかにどう表現せよというのだ。

 安めぐみってのは、グラビアなどの静止画で見ても、べつにどうということはない。だが、動いてしゃべっていると、不思議といいのである。悪女好みのおれのタイプではないのだが、なぜかここ半年ほど、安めぐみにハマっている。もしかするとおれは疲れているのだろうか? べつにおれは安めぐみのファンではない。ファンではないのだが、テレビに出ていると、なにやら惹き寄せられるように観ている。不思議だなあ。だから、ファンじゃないってば。

 いや、それはともかく、よくぞ安めぐみを定食屋の看板娘にしてくれた。そうだ、そうだったのだ。以前から、安めぐみというのは、どうもどこかにいるはずのキャラだ、どこだ、それはどこだ、どこなんだーっと思っていたのだ。定食屋だったのだ! キャスティングの人、えらい! どんぴしゃりだ。それが答えだ。

 で、若武者のサイトに行ってみると、いつのまにか「“安めぐみ”の看板娘日記」なるブログがはじまっていた。もう、まんまと宣伝に乗せられている感じだが、迷わずRSSリーダーに登録した。登録したが、ぜーんぜん面白くない。まあ、まだはじまったばかりだからかもしれないし、これは基本的に茶の宣伝であるからして、あまり地を出せていないからかもしれない。地が面白いという保証はないけれども。まあ、眞鍋かをりほどのあけっぴろげなサービス精神は期待しないが、この調子で続くのだとしたら、たぶんインリンのほうが日本語うまいよな。

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