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2006年2月14日 (火)

『企業倫理とは何か 石田梅岩に学ぶCSRの精神』(平田雅彦/PHP新書)

 江戸中期の商人学者、石田梅岩が説いた“商人道”である石門心学に、今日言うところの Corporate Social Responsibility(CSR)の源流を見てゆく本。CSRのみならず、コンプライアンス、コーポレート・ガバナンス等々、いまわざわざ外国語で呼んでいる概念、今日のビジネス書を新しげに賑わせている概念の数々が、神道・儒教・仏教を独学しながら商家で商人としての実践的修行を積んだ石田梅岩によって、商人の道として平易に説かれていることを梅岩の原文と照らしながら紹介してゆく。

 これがけっこう面白いのである。この面白さはなんなのだろうとよくよく考えてみると、似たような面白さに触れたことがあるのに気づいた。道元の時間論はハイデガーのそれを先取りしていると紹介してゆく類の本の面白さに似ている。つまり、自分にはいわゆる“愛国心”などはほとんど備わっていないと思っていても、こういうのを読むと、なんとなく「日本人も捨てたもんじゃないじゃんか」という快感を覚えてしまうわけなのだ。べつに石田梅岩がマジャール人であろうが道元がイヌイットであろうが、彼ら個人の思想の価値が変わるわけではなく、彼らはたまたま日本人であったにすぎないのだが、正直なところ、うっかり快感を覚えてしまうのは事実なのだ。この快感は読書のうえでは邪魔なので、「ああ、気持ちいいけど、虚しい快感だよなあ」とちゃんと意識しつつ、この面白さを味わうのがよいと思う。

 それは別として、人がなんらかの形で商売をして、人様からお金をいただいて飯を食ってゆくということは、つまるところどういうことなのかを、すれっからしの大人がいま一度、ゼロから考えてみるのには、とてもよい本だと思う。会社というところにいると、あんまりそういうことを考えなくなってしまうのだ。

 かくいうおれも企業から金をもらって生活している――という言いかたが語るに落ちていて、すでにしておかしい。金をくれるのは企業じゃなくて、そのお客様である――わけであるから、企業とはなんなのかと時折考えないでもない。ぶっちゃけた話、おれは企業を大きな“モビルスーツ”だと思っている。個人ではとても出せない力を発揮して個人の能力を増幅する便利な道具だが(もっとも、個人にならいとも簡単にできるのに、なぜか企業にはできないこともしばしばあるけど)、それを“着ている”と、犬ころの一匹や二匹、いや、人間のひとりやふたりうっかり踏み潰してしまっていても、まったく気づかないことがある。便利だが危ないスーツだ。企業倫理というのは、たぶん、その諸刃の剣であるモビルスーツの好ましい着用のしかた、機動のしかたを考えるところから出てくるんだろうとおれは思う。犬を踏み潰すのはやむを得ないが、人間踏み潰しちゃまずいでしょうとか。犬を踏み潰すのをやむなしとするにしても、踏み潰された犬の命に報いるだけの価値を社会にもたらすモビルスーツの使いかたをしたのかとか。そもそも、ちっぽけな個人の力を増幅しているその“力”は、どこからかすめ取ってきているのかとか。エネルギーは保存されるんだから、スーツの力が虚空から湧いて出てきているわけではないはずなのだ。

 ちょっと警戒してしまうのは、梅岩の思想を“心学”と呼んだとたんに、宗教的なカラーがついてしまうところ(まあ、本人は宗教で大いにけっこうと思っていただろうけど)。おれはその宗教性はあまり評価しない。あくまでも合理性の追求としての“商人道”の体系が、おのずと現代の経営の問題にもストレートに光を投げかけてくるところが痛快なのである。

 倫理というものは美意識だ。美意識の最大の弱点は、それを持っていない者、それを異にする者には、なにを言おうがまったく通じない点である。つまり、倫理というのは、自分が持つものであって、人に持たせられるものではないということだ。だからこそ、CSRのキモには“自発性”が入っているのだろうけれど、“自発性のない者は自発性を持つべきだ”というのは、論理的に矛盾しているのである。合理性を突き詰めていった結果、それがほとんど倫理と重なるような社会というのが、いつの日か来ればいいなあとおれは思っている。その点、石田梅岩の思想は充分に合理的であり、こんな人が江戸時代にいたというのは、まことに心強いことだ。梅岩はいいSFファンになれたかもしれない。



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