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2006年1月29日 (日)

ケータイ貸してくれ爺さん

 そうだ、書こうと思って忘れていた。先日、会社からの帰りの電車に、ヘンな爺さんがいたのだ。

 それは特急電車で、おれは座れずに立って本を読んでいた。と、「いますぐここに電話せんとあかんのや」という甲高い声が、背後の座席から聞こえてきた。見ると、座席に陣取って窓際に食いものやら飲みものやらを広げている爺さんが、隣に座っている若者に、なにやら懇願している。耳をそばだてて状況を把握するに、どうやら携帯電話を貸せと迫っているようだ。若者になにかの雑誌を見せ、そこに書いてある(あるいは自分でメモした)電話番号のところに、すぐ電話しなければならないと言っているらしいのだ。「ここに電話せんとえらいことになりますのや」「あんたら若い人にはわからんやろうが、人生の片隅で細々と生きてるもんもおるんや」

 それを言うなら「世間の片隅」だろうとツッコミを入れたくなったが、もちろんツッコまない。そのあとも爺さんは、周囲の人に次々と携帯電話を貸せを迫っては断られ続けていた。あたりまえだ。

 最初は単に常識のない爺さんなのかなとも思ったが、これはひょっとして詐欺なのではあるまいか、もし携帯電話を貸してやろうという人が現れたら、止めに入らねばなるまいなと、おれはずっと話を聴いていた。爺さんがその得体の知れない番号に電話をしたら、番号非通知にしないかぎり(爺さんがそうするとはとても思えない)、そのケータイの番号が向こうに知れてしまうことになる。とすれば、あとは“ワン切り詐欺”同然の展開があっても不思議ではない。ことによるとこの爺さんは、番号収集のために雇われている可能性だってないとは言えないではないか。

  だいたい、一刻を争うような電話をいつなんどきしなければならなくなるかもしれないような人間が、どうして通勤客がほとんどであろう特急に乗って呑気に飲み食いをしているのか? どういう事情が知らんが、常に連絡が途絶えてはならん仕事なのであればケータイを持たされるであろうし、ケータイを持てないほど貧しい爺さんの私事であったとすれば、なぜ各駅停車に乗らない? おれがそういう状況であれば、時間がかかっても各駅停車に乗る。電車に乗ってしまってから、突然一刻を争う電話をしなければならない事態が発生したとも考えにくい。なぜなら、その爺さんは、ケータイはもちろん、外からリアルタイムの情報を得る手段を、見たところなにも持っていないからだ。では、なにか重要な用件を突然思い出したのか? にしては、次の駅に止まるまでの三十分ほどが待てないのは不自然だ。そのまま忘れていたかもしれない程度のことなのだろう?

 あれは新手の詐欺未遂だったのではないかという可能性が捨てきれないのだけれども、現代の個人持ち携帯電話がもはや身分証明書にも等しいものになっていることにも思い及ばない、ただのヘンな爺さんだったのかもしれない。詐欺でないとしても、十円なり二十円なり三十円なり(もしかしたら二、三百円?)を、見ず知らずの人にめぐんでくれと言っているにも等しいのだ。なんだったんだろうね、アレは?

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