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2006年1月29日 (日)

『銀齢の果て』(筒井康隆/新潮社)

 筒井康隆、ひさびさのブラック・ドタバタ。「今や爆発的に増大した老人人口を調節し、ひとりが平均七人の老人を養わねばならぬという若者の負担を軽減し、それによって破綻寸前の国民年金制度を維持し、同時に、少子化を相対的解消に至らしめるため」日本政府が導入したのは、老人相互処刑制度、通称「シルバー・バトル」だった!

 要するに、老人版『バトル・ロワイヤル』である。筒井御大の弁によれば、若いときに書いたのでは老人差別と叩かれるので、自分が七十歳を超えるのを待っていたのだそうだ。もう、筒井康隆もこの歳になれば怖いものなし(若いときからそうだったような気もするが)、なんでも書ける(若いときからなんでも書いていたような気もするが)。

 筒井康隆の毒に耐性を持つ愛読者にとっては多少もの足りないくらいだが、やっぱり慣れない人は眉を顰めるだろうなあ。怒り狂う人もいるやもしれん。それでこそ筒井作品である。老人問題以外にも、現代日本社会に対する痛烈な“おちょくり”(“批判”ってのとは、ちょとちがう)が随所に横溢している。作中歌「葬いのボサ・ノバ ソニア・ローザに捧ぐ」(詞・筒井康隆、曲・山下洋輔)は、楽譜も付いていてお得――

 死に水が のどに詰まって

 ごろごろと 鳴るその音が

 涼しげに 耳に響くの

 快く 胸に響くの Hm− Hm−

 

  殺すたび 死んでいくたび

  生き返るたび また殺すたび

  わたしは 愛を感じるの

  死者たちに 愛を感じるの

 もはや陳腐化・定番化しているからこそいけしゃあしゃあと使えるえげつない設定とは裏腹に、不快に凄惨な感じはほとんどなく、殺し合う老人たち一人ひとりの人生に妙に感情移入させられながらも大笑いしてしまう。「頑張って、突いてっ。突いてっ」は最高やなあ。『敵』『わたしのグランパ』など、“老い”をテーマにした近年の筒井作品同様、おもしろうてやがてかなしき中に、いつか来る道へと響く自分の足音が少しいとおしく聞こえてくる快作である。

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