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2005年10月の21件の記事

2005年10月30日 (日)

劇場版『パタリロ!』を観る

 東映アニメBBで、劇場版『パタリロ! スターダスト計画』が配信されていたので、そういえば劇場版は観てないなと、一応、一般教養を培うべく勉強のために観ておく。

 劇場版と言っても、昨今のように九十分も百二十分も百五十分もあるようなものではない。五十分ほどのものである。魔矢峰央がオープニングのテーマ曲を唄っているのを聴けるのは、ちょっとお得かも(人生、なにをお得と考えるかの哲学にもよるが……)。臼井儀人が『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』で「大都会」の冒頭をちょろっと唄うといったようなものではないのである。まるまる一曲、映画オリジナルのテーマソングを唄っているのである。それがなかなかうまいのである。こんな(出たがりの)マンガ家を、おれはほかに知らない。もちろん、劇中にも(原作マンガと同じように)出てくる。まったく出たがりだ。

 で、出来はというと、まあ、映画だからといってとくにどうということはない。もっとハチャメチャをやってもよかったのではないか。脚本は田波靖男というから驚きだ。そう、植木等やクレージーキャッツの映画やら、《若大将》シリーズやらの田波靖男である。『パタリロ!』独特の無責任なバカノリについてゆけそうな人をほかに思いつかなかったのかもしれんが、田波靖男を以てしても、『パタリロ!』の映画化などという暴挙は荷が重かったようだ。宇宙空間にどこからともなく薔薇の花の帯が現れ、その真空の薔薇の園で見つめ合う宇宙服の男と男、不細工な少年とノリの軽いロボット……そんな世界をなんとか映画化してみせた人々に深い同情の念を禁じえない。ようこんなもん劇場でやったな、しかし。おれの感覚がもはやこういう世界には麻痺しているせいか、さほど面白いというものではなかったが、そこそこ健闘している。日本アニメ史に残る怪作とは言えよう。

 それにしても、『パタリロ!』も、もう二十五周年なんだねえ! おれもほんとに歳食ったもんだ。DVDもいろいろ出てるらしいから、いまの時代に『パタリロ!』にハマってしまう少年少女も新たに出現するかもしれない。羨ましいというか、気の毒にというか、ま、よいことだ。

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生活時間帯とテレビ視聴の分離

 昨日の『BLOOD+』を見逃していたので(ビデオが点けっぱなしになっていたので、予約録画が作動しなかったのだ)、この際ウェブで観てみようと、昨日の深夜(というのは今日だが)観た。『BLOOD+』はテレビ放映後一週間は無料のコンテンツで、AIIに利用者登録するだけで、有償会員にならなくてもタダで観られる。

 こういう形で、時間に縛られず観られるというのは、存外に便利なもんである。タダだから 500Kbps のストリーミングで、画質はお世辞にもよくないが、話を追っかけるぶんには充分だ。テレビでやってるすべてのコンテンツがこういう形で観られるようになればいいんだが、って、そういうのをビデオ・オン・デマンドというのか。頭ではわかっているんだが、その便利さを体験しておくことも必要ではあるな。

 VODが主流になってくると、たとえば、子供のころは土曜の昼には必ずラーメン食いながら吉本新喜劇を観ていたなあとか、日曜夕方に『サザエさん』のテーマ曲が流れてくると、ああまた明日から学校(仕事)だなあと甘酸っぱい名残惜しさを覚えたとかいった、生活時間帯と密着したテレビ視聴という共同幻想にも似た感覚が失われてゆくことになるはずだ。「同じ世代の日本人(関西人)ならたいていそうでしょう」って感覚がなくなってしまうのだ。そうなってしまうにちがいないのだが、なんだか少し寂しいものを覚えるのは、おれが昭和の人間だからなんだろうな。

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2005年10月29日 (土)

基準の変化

 最近思うのだが、「腹八分目」というのは身体に悪いのではなかろうか? この言葉がいつできたのか知らないが、戦後ってことはないだろう。きっと、もっとむかしだ。そのころの「腹八分目」というのは、日本人の食事が欧米化していないころの八分目であって、いまなら「腹六分目」くらいがいいのではないだろうか? おれは平素は六分目くらいがちょうどよいつもりで飯を食っている。それでもめきめき痩せたりはしない。

 まあ、肉体労働をしている人なら六分目というわけにもいかないだろうが、座ってキーを叩いている時間が一日十時間を超えるような人なら、ほんとにちょうどよいと思うぞ。

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カエルネタ、キターーー『探偵!ナイトスクープ』

 例によって、コンビニ弁当食いながら、『探偵!ナイトスクープ』の録画を観る。

 今日のはじつにすばらしい! ナイトスクープ史に残る、カエルの素行調査である! いまだかつてこんな番組があったであろうか。いやあ、可愛いねえ。トイレにカエルが棲みつくとは、うちのような団地ではまず考えられない。羨ましい。

 カエルってのは、夜はあんなに活動的なんだねー。カエルを飼っている人はたくさんいるだろうが、あんなふうに自然に棲みついてくれるなんて例は、そうそうないだろう。すっかり情が移ってしまっている依頼者夫婦が、じつにいい味を出していた。

 ほかのネタは……まあ、この際、どうでもいいや。

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2005年10月27日 (木)

選択と集中の思想

 二十年は使っているであろうハンディ掃除機がさすがに役に立たなくなってきたので、とりあえず持ち運べる掃除機を買おうと思い、むかしテレビ通販でよくやっていたターボタイガーのコピー商品みたいなのをウェブで買ってみた。千九百八十円というとんでもない値段なので、まあ、ハズレでもいいや。家電量販店のワゴンに二千円代で積んであるのを見たことがあるが、ここまで値下がりしてしまっていたとは。テレビ通販で盛んにやってたころには九千八百円していたはずなんだが、ブーム(?)が去ったいま、もはや単行本の価格である。テレビ通販はよっぽどぼったくっていたんだな。

 で、そいつが今日届いたので、さっそく使ってみる。いやあ、噂には聞いていたが、これはすごいな。これを掃除機と呼んでいいのだろうか。もう、ただただひたすら強力なモーターそのものであって、それ以外の部品にはほとんど金がかかっていなさそうである。清々しいほど割り切った設計思想だ。強ければそれでいいんだ、力さえあればいいんだというシンプルな思想が、ちゃちいボディから伝わってくる。軽い。技術の粋を凝らして軽くしたのではなかろう。モーター以外はひたすらちゃちいから、自然と軽くなってしまっているのだ。まるでピザ屋のバイクにF1のエンジンを積んでいるかのようである。当然、静音などという尻の穴の小さいことはまったく考慮されていない。豪快な音がする。

 スイッチを入れると、その瞬間、トルクで手首が回転するほど強力だ(;^^)。吸う吸う、めちゃくちゃ吸う。おれの部屋のような、ふつうの大きな掃除機が入り込めない魔窟を掃除するには、じつに便利だ。パソコンの横腹に空いている換気・放熱用の穴に埃が溜まって鬱陶しいなあと思っていたんだが、あっというまに吸い込んでしまった。うむ、これはよい買いものをした。はたしてこの掃除機、どのくらい長持ちするものやら。華奢な身体のわりにすごく無理をしているって感じがするからねえ。まあ、一年くらいはがんばってもらいたいな。

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2005年10月23日 (日)

おっかのうえ、ひっなげしの

 『行列のできる法律相談所』をなんとはなしに断続的に観ていたら、突然、ものすごく可愛い女の子が出てきた。まじまじと見入ってしまう。三十年前のアグネス・チャンだった。

 こんなに可愛かったかなあ? この三十年のあいだに目が肥えたのか、逆にストライクゾーンが広がったのか……。あるいは、三十年前だと、おれのほうがまだ性的に成熟しておらんかったのであろうか。おれがもう五年早く生まれていたら、アグネス・チャンの大ファンになっていたおそれがあるな。

 「目から鱗が落ちたのと目に鱗が飛び込んだのとは区別できない」という名言を思い出す。あれは星新一だっけ?

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2005年10月22日 (土)

四十代後半に注意『探偵!ナイトスクープ』

 例によって、さっき晩飯を食いながら『探偵!ナイトスクープ』の録画を観た。

 一本め、東大阪にUFOが出るから調べろという依頼なんだが、この際、内容はどうでもいい。依頼者のおばちゃんが、あまりにもジャバ・ザ・ハットそっくりなのにいちばん驚いた。あんたが宇宙人やがな。あれは絶対本人だと思う。

 二本め、依頼者がスペインで見た、ロケットのように種を飛ばす植物を探す。テッポウウリという実在の植物であるところまでは突き止められたが、残念ながら種が飛ぶところは見られなかった。この際、内容はどうでもいい。依頼者の女性があまりにも化粧が濃くて、パックをしている最中にやむを得ず出てきたのかと思った。

 三本め、“大阪のおばちゃん”になりたくないという十九歳の乙女三人組と、“本格的な”大阪のおばちゃんたちとの座談会。なーるほど、大阪のおばちゃんというのは、結婚後発症し、四十代後半に一気に急性化して、あんなふうになってしまうようだ。予後は悪いみたいだが、QOLはなぜか異様に高い。あんなふうになってしまうと「とても楽」なのだそうな。そのぶん周囲のQOLが下がっているのではないかとおれは思うのだが、まあ、いいか。今日も豹柄の服を来て、自転車のベルを不必要に鳴らしながら、彼女らは人間の自由のために闘うのだっ!

 それにしても、カンニング竹山は、やむを得ずピン状態になってから、どんどん“いい人”になってくる。どうかすると、おれは彼の“いい人”キャラが妙に好きなことに気づいたりする。あんなにいい人になってしまったら、相方が復帰したときに困らないかなあ。

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2005年10月20日 (木)

あるあるあるある

 今日の『トリビアの泉』、「生涯、貝を研究してきた学者が近所の魚屋さんで新種の貝を発見したことがある」ってのには、うんうん、そういうことってたしかにあると激しく頷いてしまった。

 初めて降り立った地方のローカル線の小さな駅前のやたらエロ雑誌とかの多い文房具屋を兼業しているちっぽけな本屋の奥の埃をかぶった棚の足元のほうを見たそのとき、「なっ、なぜサンリオSF文庫のこれが、こんなところにっ!?」ってことが、むかしはけっこうあったりしたんだな。古本屋ではない、新刊の書店だ。この場合、貝じゃなくて、タコだな。イカかもしれんけど。

 さすがに、最近はサンリオSF文庫はないだろうけど、客筋からしてどう考えても売れそうにない不思議な品揃え(?)をしている本屋が、なぜか寂れた駅前にはよくある。なんなんだろう、あれは?

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2005年10月18日 (火)

人間拡張の原理、あるいは、人間の拡張の諸相

 先日、虫愛づる姪の誕生日のプレゼントに「DS楽引辞典」を買ってやったのだが(ニンテンドーDS本体は、すでに持っているのは知っていたのだ)、今日、運動会の振り替え休日だとかでうちに遊びにきたのだそうで、さっそく母に見せびらかしていたという。母によれば、

 「わからんことがあったら、なんでも訊いて。なあ、なんかわからんことないか?」

 と、うるさかったのだと。「なんでも訊いて」とは大きく出たものだ。べつにおまえが急に賢くなったわけでもなんでもなく、ゲーム機に英和辞典と和英辞典と国語辞典が入っているだけだと思うのだが……。

 こいつに拳銃やら日本刀やらを買ってやっては絶対にいかんと思った。遊びにきたとき、母にこういうにちがいないのだ――

 「むかつくやつがおったら、いつでも言うて。なあ、誰かむかつくやつおらへんか?」

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2005年10月16日 (日)

人類補正計画

 最近、エプソンのカラリオのCMをよく目にする。プリンタのくせに、おせっかいにも人の顔を判別して、写真の色を自動補正してくれるという新機能がウリらしいのだが、あれはどういうアルゴリズムになってるんだろう? たとえば、顔が暗がりになってしまっている写真の“明るさ”のみならず“色”まで補正してしまうということは、情報量の少ない状態から、無理やり情報量を増やしているわけであって、それはもはや、“補正”というよりは“補完”なのではなかろうか。あのプリンタで“補正”された写真は、オリジナルと比べて、情報エントロピーは低いのだろうか、それとも高いのだろうか?

 また、あのプリンタは、黒人を撮っても、ちゃんと“補正”してくれるのだろうか? 松崎しげるを撮ったら、平均的日本人らしい肌色をした松崎しげるに改竄してしまうのではあるまいか? たいへん興味深い。買った人がいたら、ぜひ松崎しげるを撮って、プリントしてみていただきたい。

 まあ、「画質は落ちるが見栄えはよくなる」ということはあるわけだから、それを容認するなら一般消費者向け家電としては、面白いコンセプトだと思う。音楽プレーヤーの類についているプリセットイコライザーみたいなものだ。つまり、もはや映像再生機器も音楽再生機器も、多かれ少なかれ一種のヴァーチャルリアリティー機器になっているのだから、プリンタがその仲間入りをしてなにが悪いという発想なわけである。うむ、二十一世紀じゃなあ。

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2005年10月15日 (土)

ハロルド・ピンターとSFの接点

 アマゾンで検索してみて愕然とする。ハロルド・ピンターの邦訳が一冊もヒットしないのだ。そりゃまあ、もともと日本で単行本がぽんぽん出るような劇作家ではないが(イギリスでは押しも押されぬ大御所なのに)、本邦の決定版であったはずの『ハロルド・ピンター全集』(全三巻/喜志哲雄・小田島雄志・沼澤治訳/新潮社)がなくなってしまっていたとは……。いまごろ、新潮社では大あわてで復刊の準備をしているにちがいない?? ノーベル賞受賞を機会に、文庫化は無理としても、軽装版くらいは出してもらいたいものだ。“全集”といっても、主な戯曲だけを収録していて、小文の類まで網羅したほんとうの“全集”ではない。

 じつは、SFファンの人は、『ハロルド・ピンター全集』の書評を一度は目にしている可能性が高い。さすが筒井康隆、『みだれ撃ち瀆書ノート』で取り上げているのである。と思ったら、『みだれ撃ち瀆書ノート』自体が、『筒井康隆全集』以外では入手しにくくなってしまっている。ああ、昭和は遠くなりにけり。

 なら、これならどうだ――『遊星よりの昆虫軍X』(ジョン・スラデック/柳下毅一郎訳/ハヤカワ文庫SF)に、一箇所だけちょこっとピンターの名前が出てくる(;^^)。だからって、どうということはないのだが……。まあ、訳者名を見れば「この本は特殊です」と帯がついているようなものだとわかるし(笑)、若いSFファンは読んだことないかもしれない。哀しいかな、この本も新品では入手しにくいようだ。この本には未発表の「訳注」という労作があって、ありがたいことに、いまも柳下毅一郎さんのサイトで公開されている。この訳注に出てくる「ピンター調」というのは、おれは『遊星よりの……』の原文を読んだことないけど、あきらかに Pinteresque の訳だろうとわかる。Pinteresque なんて言葉が定着しちゃうくらいに、「ピンター劇みたいな、あんな感じ」ってのが、少なくとも、多少は英文学の教養があるイギリス人には通じるほどには(アメリカ人はどうかわからん)、人口に膾炙しているわけである。

 あと、ピンターの「背信」(これは新潮社の全集が出たあとの作品だから、当然全集には入ってない)の本邦初訳が掲載されたのは、かの名雑誌、中央公論の〈海〉(1979年10月号)なのである。これもまた有名な、塙嘉彦編集長の時代だ。このころといえば、〈ユリイカ〉やら〈カイエ〉やらがラテンアメリカ文学を集中的に紹介していた時期であり、このころの塙編集長と筒井康隆との親交が、その後の筒井文学の方向性に大きく影響したことは、筒井が書いているとおり。これはよくわからんのだけど、〈海〉にピンターの戯曲の翻訳なんかがいきなり載ったのは、はたして塙編集長と筒井康隆との親交になんらかの関係があったのか、たまたま塙氏の眼力の指向性が、筒井康隆の好みにも合っていたのか、さて、どうなんだろう?

 というわけで、おれの思いつくかぎりでも、SFとピンターの接点はこんなにあるのである(無理やりだけどな)。

 ハロルド・ピンターをこの機に知った方は、ぜひ一度、古本を入手して読んでみていただきたい(まあ、新潮社はたぶんなんらかの手を打つとは思うけど)。

 ピンターの世界ってのはどんな感じなのかってのを、SFファンに端的にわかりやすいように表現するとすれば、「安部公房が小林泰三の会話文で書いたような感じの芝居」ってのが、おれ的にはいちばん近いと思う。“おもろこわい”とでも言おうか。マジな話、小林泰三作品の登場人物のやりとりは、すぐれて Pinteresque だ。それほどに、おれは小林泰三の、奇妙に歪んだ、論理と人間の関係性とがすれちがいながら跛行してゆくような会話文、会話しているようなふりをしつつ、じつは全員がひとりごとを言っているような会話文を、高く評価しているのである。

 ま、アレだけどね、ちょっと社会性に問題を来たしはじめているほどに重度の、分野の異なるオタク同士の会話ってのは、傍で聴いていると、かなり Pinteresque だよ(笑)。

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きみたちがいて、ぼくがいる

 金曜日にしては早く帰ったら、テレビでヘリコプターにミサイルが突っ込んできていた。映画『チャーリーズ・エンジェル』(2000)だ。おれはけっこうこのバカ映画が好きである。DVDも衝動買いして持っていて、ストレス解消に環境ビデオのようにして使ったりしている。なーんにも考えたくないときに観るのには、最高の映画だ。

 なんつっても、キャメロン・ディアスが可愛いなあ。というか、ほかの映画でキャメロン・ディアスを観ても、あんまりいいとは思わないのだが、なぜかこの映画の彼女はいい。観るたびに笑ってしまうのは、キャメロン・ディアスの

 「ニッホンゴ、シャブルノ、スゴイネー」

 である。しゃぶるなー! おれは、ひょっとしてこれは、製作側がわざと言わせているのではないかと疑っている。これだけ金のかかっている映画だ、日本語指導の人くらいちゃんとついているだろう。ついていて、あえて誤った日本語を“しゃぶらせて”いるのではないかと思うのだ。キャメロン・ディアスの口に、とにかく「しゃぶる」と言わせたいという企みなのではなかろうか。もしかしたら、日本語指導の人ひとりの個人的いたずらだったりして。

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2005年10月14日 (金)

京ぽん還る

 先日、湯呑みに落として修理に出していた京ぽんが返ってきた――のだが、これってよく見ると、いや、よく見なくても、要するに、新品なのである。電話機としての登録情報がおれの番号に書き換わっているだけだろう。そりゃまあ、水に落としたら、丸ごと交換だよなあ。なんだか、入院した知人が退院してきたら、本人の意識と記憶を引き継いだクローン体だった、みたいな感じ。

 だが、新品を買ったという扱いにはならないのだ。新品を買ってしまうと、向こう十か月は機種変更ができなくなってしまうので、あくまで“修理”という扱いなのである。だから、十一月以降に新機種が出たら、すぐ機種変更ができる。なんだか、得したような気もする。新品だし、筐体のロゴはウィルコムのに変わっているし、ディスプレイもぴかぴかだし、ボタンもくたびれていない。このあいだ折れたのでアロンアルファで直したヒンジも、傷ひとつない。いまバックアップデータをパソコンから転送し、ほぼ元の状態に戻ったところだ。

 今回の修理費は、貯まっていたポイント(ウィルコムでは「コイン」と呼ぶが)が充てられたので、現金は一円もかかっていない。だが、機種変更のときに使えるはずのポイントが減ったわけだから、結局、あとから現金を払うことになるという解釈もできる。まあ、湯呑みに落としたんじゃしようがない。

 店の兄ちゃんから聞き出したところによると、今度出る京セラのハイエンド機は、Opera が従来の四倍速で動くという。

 おれ「電池があっちゅうまになくなるんとちゃいますか?」
 店員「た……ぶん、そうでしょうねー」

 うーむ、遅いOperaでもなんとか一日使える今の機種を使い続けるべきか、新機種に乗り換えるべきか。ここはぜひ、人柱のレポートを待たねばならんなあ。

 Opera が速く動くと、人はどうするか?

 (1)いつも見ているページがさくさく見られるので、それまでより使う時間が減り、電池はそれまでと同じくらい保つ。

 (2)いつも見ているページがさくさく見られるので、結局それまでと同じくらいの時間使ってしまい、電池がすぐなくなる。

 (2)だよなあ、ふつう(;^^)。

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2005年10月13日 (木)

ノーベル文学賞

 おおお、職場のパソコンにRSSが飛んできて、思わず声を出してしまった。やったー、ハロルド・ピンターだぁ!

 いや、おれの卒論はピンターだったので、なんだか嬉しいのよ(^_^;)。ま、遅すぎた感はあるけどね。

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2005年10月11日 (火)

♪可愛いヘービー、ハイハーイ

 なんか『報道ステーション』で、日本のヘビ輸入の実態を特集していたが、なーんとねー、ヘビ好きな人って、こんなにいるんだねー。いや、おれも嫌いじゃないけど、ヘビってどうも、カエルとちがって感情移入しにくいじゃないすか。だからかえって癒されるのかな?

 自宅を改築してビルマニシキヘビ(危険なのだそうだ)とやらを飼っている人が出てきたけど、こういうのって、大地震のときとかどうなるのかね? 地震のあと、命からがら避難所へ向かうと、あちこちから危険なヘビがうようよと這い出して襲ってくるなんてことはなかろうね。「危険な生きものを飼う」って聞くと、まずそういうこと考えちゃうのは、阪神大震災の後遺症だろうか。ビルマニシキヘビはでかいだけで毒はなさそうだが、毒ヘビだって少なからず輸入されているらしい。うーん、マジで地震のときどうするのだろう?

 まあ、ヘビを好きになる自由はあるが、できればカエルにしておいてほしいものだ。いや、カエルだって、ヤドクガエルの仲間には、手で触れただけで人命にかかわるほどの猛毒を持つものがいる。そんなのが、天井からぽたりと首筋に落ちてきたらどーしますか。そりゃまあ、人好きずきではあるけれど、わざわざこんなに自然災害の多い国に物騒な動物を輸入するのは、できるだけやめてくれー。

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2005年10月 8日 (土)

金太は負けなかった『探偵!ナイトスクープ』

 例によって、さっき晩飯を食いながら、録画しておいた『探偵!ナイトスクープ』を観た。

 キンタマが動くかどうかという一本めのネタだが、そりゃ動くよ。珍しくもなんともない。挙睾筋反射ってのがあるじゃんか。内腿を下から上に硬いもので引っ掻くと、キンタマが動く。いや、むかし、そういう反射があると初めてなにかで読んだときに、さんざん実験したのだ。面白くて、何度も何度もやった。なんかこう、むにゅうううっと動きますな。岩陰に身を潜めようとするタコみたいな感じ。あるいは、引き潮のときに縮こまっているイソギンチャクを突っついたみたいな感じ。やったことない人は、やりましょう。いま、やりましょう。ここで、やりましょう。すぐ、やりましょう!

 二本めは残尿感が残ったなあ。銀メッキのステンレス食器を使うと手が黒くなる女性が原因究明を依頼。大阪工業大学の先生が最初に立てた、指輪と銀の食器と汗で電池ができてるのではないかという仮説は、おれも思いついたのだが、指輪を外しても黒くなるので否定されてしまった。人体の硫黄分と銀が反応して硫化銀ができるのではないかという仮説が紹介されて終わったが、あくまで仮説のままである。うーむ、これは後日また究明してほしいなあ。気色悪くてしかたがない。

 依頼者の女性はけっこう美人だが、かなり化粧も濃かったので、ひょっとしたら、化粧品とか手荒れ防止のクリームかなんかに硫黄が含まれていて銀と反応するのではないかと、おれは疑っている。究明希望!

 三本めは、ゴキブリがびっしり貼りついたゴキブリホイホイの中でゴキブリたちがいっせいに羽ばたいたら、ゴキブリホイホイは宙に浮くのではないか――ってネタだが、浮くかーっ! 平たいゴキブリがホイホイに貼りついたまま羽ばたけたとしても、むしろホイホイは地面に押し付けられてしまうじゃないか。

 ゴキブリがホイホイごと飛ぶには、ホイホイに貼りついたままで地面効果が出ないホバリング高度で羽ばたけるような体型をしている必要があるだろう。キリンみたいに足が長く、足先だけがホイホイに貼りついており、そのままの姿勢で翅がかなり上のほうで羽ばたいている――というのなら、ひょっとしたら数を揃えれば飛べるかもしれん。むろん、馬力や身体の強度は度外視するとして。

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2005年10月 7日 (金)

京ぽちゃん

 いやあ、笑うた笑うた。どちらかというと、たいへん不幸なことがおれの身に降りかかったのだが、それでも笑わずにはおられない。

 朝起きたおれは、ベッドサイドに積んである本の上に置いてあるケータイを掴み、朦朧とした頭でパソコンの上の充電器にセットしようとした。そこで手が滑った。ケータイは充電器を外れて滑り落ちた。

 ぽちゃん。

 なんと、ケータイは、パソコンの横に置いてあった湯呑みの中に、狙ったように吸い込まれたのであった。けっこうでかい湯呑みではあるが、よくもまあすっぽりと落ちたものだ。

 あわててケータイを引っ張り出したが、運の悪いことに、飲み残しの茶がかなり残っていた。いかん。見ると、ケータイの画面が乱れている。

 おれはすぐさまティッシュでケータイを拭き、電池を取り出してさらに水気を切った。しばらく乾かしてから、再度電池を装着し、電源を入れてみた。が、何度やってもケータイは意識を取り戻さない。あちゃちゃちゃー、お亡くなりになったようだ。

 というわけで、修理中にショップが貸してくれる代替機(もちろん京ぽんだ)をいま使っているのである。さいわいアドレス帳とブックマークのバックアップは取ってあったから、失われた貴重なデータはほとんどなかった。いま代替機にデータを転送したところだ。数件はアドレス帳から失われているかもしれないが、ケータイにしか保存されていないデータではない。

 水死したおれの京ぽんは、一週間から十日くらいで戻ってくるそうな。まあ、基盤交換でしょうなあ。ショップの店員が言うには、「いやあ、そんな事故は初めてですねー」って、おれだって初めてだ。ふつう、水に浸けて壊す場合、トイレとか洗面所とかに落とすものだろう。湯呑みに落とした人がほかにいたら、一緒に稀有な不運を笑い飛ばしましょう。どわははははははははは。いやあ、世の中、なにが起こるかわかりませんなあ。

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2005年10月 6日 (木)

神の降臨

 ジャイアンツの監督に返り咲いた原辰徳が、さっきテレビでものすごいことを言っていた。「優勝に向かって全身全霊、全知全能を懸けて戦い抜く」のだそうだ。あんた、神様か? そもそも、全知全能だったら、野球ごときで努力する必要なんかないじゃないか(;^^)。

 もっとも、全知全能である存在にも、論理的にできないことがある。それは、「全知全能でありながら、全知全能でない状態でもあること」である。このように、できないことが少なくともひとつはあるわけだから、全知全能者はそもそもの最初から全知全能者ではない。ということは、できないことがあってもかまわないのだから、「全知全能でありながら、全知全能でない状態でもあること」ができないからといって、最初から全知全能でない者としては、なんの問題もない。だから、なにも気にすることはないのだ、神様。

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2005年10月 5日 (水)

めくるめく『ディアスポラ』

 遅々として進まない『ディアスポラ』、ようやく第一部の2まで読んだ。なんかこれはアレだなあ、こう言っても年配者にしか伝わらないだろうけど、数学版「大いなる正午」(荒巻義雄)って感じだなあ。数学土木SF(笑)。そういう意味では、同じイーガンの「ルミナス」にも通じるものがある。

 「数学SFはファンタジーですから」((C)大野万紀)ってのは、ルーディ・ラッカーとかを読んでいるかぎりでは、けだし名言であると大いに納得していたんだが、おれの中でイーガンは、この名言を覆そうとしている。イーガンは、数学で紛れもないSFが書ける稀有な作家ではあるまいかという気がしてきているのだった。「ルミナス」で充分そんな気がしたんだが、ひょっとして『ディアスポラ』はもっとすごいのではあるまいか。ああ、早く読み終えたい。だが、読み終えたくない。

 どっちにしても、京都SFフェスティバルまでに読み終えられそうにないな、これは(;^^)。京フェスに行ったら(合宿だけかもしれないけど)、京フェスで「『ディアスポラ』が……」と誰かが言い出すや、「わー! わー! わー!」と言いながら耳をふさいでいるおっさんがいたら、それはおれである。

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大酒呑みっぽい小道具

 よく買う酒というのがあって、こういうのはたいてい飯を食いながら飲んだり、ただただ酔うためだけに飲んだりするために“デフォルトの酒”としてダイニングキッチンに置いてあるわけである。それはたいてい「いいちこ」か「よかいち」か「しろ」か「雲海」か「辛口一献」か「鬼ころし」か「サントリーオールド」なわけだが、最近、韓国焼酎の「鏡月グリーン」をしばしば買うようになった。安い、量がある、アルコール度数が高い、ゆえにやたら長持ちし、一応、味もすっきりしていて癖がない。貧乏人には持ってこいの酒である。いろんな大きさの巨大なペットボトル入りがあるのだが、おれは2・7リットルのやつをよく買う。

 先日、おれが会社から帰ると、ふだん台所に置いてある鏡月のボトルが、なぜかおれの部屋に置いてあった。はて? どうやら、昼に来客があったようで、母がおれの部屋にボトルを移動させたようだ。関節リウマチで軽いものしか持てないのに、よくもまあ、こんなものを移動させたな。抱えて持ってきたのか。

 うーむ。なるほどね。まあ、母の気持ちも多少はわからんではない。台所に2・7リットルのペットボトルに入った焼酎が置いてあると、ものすごい大酒呑みがいるかのように見えないこともないのである。そりゃあ、これを三、四日で飲むというのなら大酒呑みだが、ロックやらお湯割りやらでひと月くらいかけて飲むんだけどねえ。どうもおれの母はこういうわけのわからない世間体を気にしすぎる性格なのである。そのおかげで、世間体を気にしないにもほどがある性格のおれが反動形成されてしまったのだから、ある意味、感謝せねばなるまいが。

 おれがどんな酒飲もうが、他人の知ったことか。でも、さすがに4リットル入りのは、まだ買ったことがない。いくら小分けで買うのが面倒くさくても、台所に置くには邪魔である。

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2005年10月 2日 (日)

恐ろしい爆弾を仕掛ける客たち

閉店惜しみ置きレモン 小説「檸檬」ゆかりの京都・丸善
http://www.asahi.com/culture/update/1002/010.html

 なんだか寂しいのう。客もなかなか粋なことをする。丸善にとってさいわいだったのは、梶井基次郎が「西瓜」という小説を書かなかったことだ。

 オスカー・ワイルドが並べてあるあたりには、山のように“置きドリアン”がしてあったりして。その場合、文学的企みというよりも、ただのほんとうのテロである。

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