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2005年8月の18件の記事

2005年8月30日 (火)

暗黙知

 今日はたいしてネタもないので、近年気になっていることをぼやく。

 どうも、いつのころからか“暗黙知”という言葉が気色の悪い使いかたをされるようになっているのである。ナレッジマネジメントとやらがふつーのビジネス用語になってしまったあたりから、なにやらヘンになっている。どうやら、ナレッジマネジメントの伝道師(?)野中郁次郎が諸悪の根源らしい。

 たとえば、「2007年問題を乗り切るには、団塊の世代の暗黙知をいかに形式知として表出し、若い世代に伝えるかがポイントだ」みたいな使いかたを、ビジネス雑誌やなんかでは平気でするわけである。おいおい。そもそも原理的に表出できないから暗黙知なのとちがうのか? おれも恥ずかしながらニューアカが流行ったころにはいろいろな思想書を読み漁ったものだが、少なくとも、おれがマイケル・ポランニーを読んだかぎりでは、暗黙知というのは、「(面倒くさいので)いまだマニュアルとして整理されていないベテラン職業人のコツ」といったようなしょーもない意味ではなかったと思うのだが。

 口にしようと思えばできるけど口にされないままになっている知識なんてのは、(verbally) inexplicit knowledge なんであって、ポランニーの tacit knowledge とはぜーんぜんちがうものでしょう。暗黙知という言葉の意味をねじまげて、あまつさえ、本家より日本に広めてしまった野中郁次郎は、犯罪的ですらあると思う。“隠匿知”とでも言っておけばよかったのに。

 そういう軽〜い意味で、「暗黙知を形式知に変換することがぁ……」なんてワケ知り顔で言ってるおじさんを職場やら講演会やらで目にすると、なんか妙にムカつくのである。「不確定性原理というのは、現存の観測機器の精度がまだまだ低いために、素粒子の位置と速度が同時に決定できないという原理である」などと言われているような気がするのだ。

 で、本来の暗黙知はどこへ行ってしまったのかというと、どうも最近では、その一部が“クオリア”とかいう、これまた掴みどころのない言葉に吸収されちゃってるような感がある。クオリアすなわち暗黙知じゃないけど、なんか相当重なっている部分があるような気がするのよな。重なっているような気がするのは、おれの理解が浅いせいなのかもしれないが、やっぱりそんな気がするのである。赤い色が“赤い感じ”がするのは、コードで表出不可能な、“赤い感じ”っていう知識なんじゃないのかな? うーむ、なんかようわからん。



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空耳の狂詩曲

 たとえば、奥村チヨの「終着駅」の歌詞が、東欧のどこかの国の言葉でたまたま「字ベロ、ペンチラ、米さ、米酒だ、キープだ牛、預りDay、飲ま飲まイェイ」みたいに聞こえたとして若者のあいだで大流行、みんなあちこちでげらげら笑いながら踊っている――という光景を想像すると、そこはかとなく不気味なのですがいかがなものでしょう。

 などと言いつつ、コンビニ弁当食いながらその他の雑種(2)をあおるときに「飲ま飲まイェイ」と言ってしまうおれが、おれはちょっとかわいくて嫌いではない。

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2005年8月28日 (日)

笑うな

 iTMS で円広志の「夢想花」を衝動買いしてしまいました。

 いや、わ、笑うけどね、あれは歌謡曲としては、たいへんな名曲やで、マジで。いまあちこちのバラエティ番組に出ているのは、たまたま同姓同名のおじさんなのです。そうなんですっ!

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あなたは「電車男」になれるか

 録画したまままだ観ていなかった『トリビアの泉』をようやく観たのだが、「トリビアの種」がケッサクでしたな。女性が絡まれているところを「電車男」のように助けるアキバ系の男性は何パーセントくらいかという調査(?)である。

 どう見ても、絡んでいるおっさん役の人よりいいガタイをしている男が、そそくさと逃げるように立ち去ってゆくのがなんとも不思議だ。編集の妙もあるのだろうが、どうも逃げたやつには、けっこうがっちりとした身体つきのやつが多かったような気がする。あれはどう見るべきなのであろうか? かと思うと、女裝している兄ちゃん(笑)が助けたり。

 まあ、あの調査の不備な点は、絡まれている女性が美女でなかったらどうなるかという対照実験をしていないところだなあ(笑)。

 おれは助けるだろうかなあ? ま、ケース・バイ・ケース(;^^)だと思う。

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2005年8月24日 (水)

米アマゾン「短篇バラ売りはじめました」

 amazon.com が短篇小説等のバラ売り「amazon shorts」をはじめたというので、どういうものなのか、さっそく利用してみた。

 「Literature & Fiction」の品揃えを見て、ちょっと感心。目下のラインナップ十八篇の中に、マイクル・スワンウィック、ルーシャス・シェパード、テリー・ビッスン、エスター・M・フリーズナー、ジャック・ダンといった面々が作品を寄せている。SF作家・SF周辺作家率が異様に高い。「Nonfiction & Essays」のカテゴリにも、ロバート・シルヴァーバーグ、ガードナー・ドゾワ、ジョー・ホールドマンがいる。やっぱり、SFまわりの作家・編集者たちは、こういう出版形態に関心が高いのだろうねえ。新しもん好きというか。

 ためしにテリー・ビッスンの「Special Relativity」を買ってみた。まだちゃんと読んでないけど、ざっと眺めたところでは、まあ、これが缶ジュース半分の値段であればリーズナブルでありましょう。ここで売ってる作品は、“amazon shorts でしか読めない”のがウリだそうで、なるほど、それなら妥当な値段かなと思わせる。

 フォーマットは以下の三種。

  ・デジタルロッカーという領域に半永久的に保存してくれるので、それをブラウザで開いて読む。

  ・PDFをダウンロードする。

  ・アマゾンのアカウントのeメールアドレスにプレーンテキストをシステムから送信する。

 パソコンでもPDAでもケータイでも、上記から都合のよいフォーマットが選べる。また、一度買ってしまえば上記の三種のフォーマットを何度でも利用できる。京ぽんなどのフルブラウザ搭載ケータイなら、デジタルロッカーが便利。実際やってみると、ちゃんとHTML化されたテキストが読めた。ケータイ本体に保存しなくてよいから、定額料金コースの人なら、短篇小説を持ち歩いているのも同じだ。パソコンやPDAなら、PDFがいいだろう。短い作品なら、eメールとしてケータイで読むのも可能だが、老眼にはちょとつらい。

 さーて、また便利なものが出てきたもんだが、日本のアマゾンが同じことをやるのかどうか、注目ですなー。それと、アメリカのアマゾンで、これがどのくらい発展するかだね。これだけのシステム投資ができるアマゾンに寡占されてしまうと、ほかのe出版サイトに影響が出るかもだ。

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2005年8月22日 (月)

急激に体脂肪率を上げる方法

 姪たちが夏休みのうちに妹一家と焼肉を食いにゆくのがいつしか恒例行事になっていて、今夜はひさびさに腹いっぱいになるまで牛の肉を食い続けた。どう考えても、ふだんの晩飯のコンビニ弁当の五、六倍の量を食っている。

 さっき体組成計で量ってみると、体重がいつもより1・5キロほど増えている。おまけに体脂肪率は22・6パーセント。ふだんのこの時間帯の測定値から2・5パーセント以上増えている。腹の中の肉と脂を正直に量ってやがるな。ま、それらを除外して量るなんて芸当はできまいが。ひたすら赤身ばっかり食ったら、体脂肪率はあまり変わらず体重が増え、結果的に筋肉量が多くなったと勘ちがいしてくれるのかな、この機械は?

 ちとダンベルでも振りまわして、腹ごなしでもしてから寝たほうがよさそうだ。

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2005年8月20日 (土)

すげえ腰巻

 どひー!

 解説を書いた『マジック・キングダムで落ちぶれて』(コリイ・ドクトロウ/川副智子訳/ハヤカワ文庫SF)が送られてきたのだが、腰巻に仰天した。池澤春菜氏推薦!である。しかも、写真入り! 推薦者の顔写真が腰巻に入っているというのは、異例のことだ。いや、池澤春菜なら入れてほしいけど。できればカラーがよかった(笑)。でも、モノクロでも綺麗なのは、ほんとに美人なのだよなあ。

 おまけにカバーは水玉螢之丞画伯によるアダムス・ファミリー風というかドボチョン一家風というか、なんかそんな感じのホーンテッド・マンション。

 訳者もカバーイラストも推薦帯も華のある女性ばかりのところへ、なんで解説だけおれみたいな地味なおやじに来たのかよくわからないが、ま、なかなか愛すべき話なので、ぜひ手に取ってやってください。ドクトロウなんだから、英語の読める人は、たいていの作品がタダでダウンロードできるんだけどね。案外、本人は、この日本版のカバーをいちばん気に入りそうな気がする。このおっさん、立派なおたくだし。

 いやあ、そやけど、繰り返すが、池澤春菜、こうして改めて見ると、ほんとに美人だなあ。お父様はけっして醜男ではないが、無骨な造作の中に繊細さが見え隠れするといった感じで、どっちにせよ、あんまり華のある顔ではない(人の親父やからいうて、好き勝手言うとるな)。さぞや、お母様は美人なのであろう(をいをい)。

 それにしても、「春菜」と「冬樹」というのは、まさか狙ったわけでもあるまいが、じつに対照的な字面である。「池澤」と「水玉」というのも水気があって涼しげ。そこへ持ってきて、「螢」と「蛉」である。草木と水と虫。みんな日本人的だなあ。



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iTMS はもっともっとマニアックに

 おや、日本版iTMS のJ-POPカテゴリに、いつのまにかザバダックが入っている。なにかおれの知らない曲があるだろうかと、さっそく調べてみると、なんだ、持ってるアルバムばっかりだ。

 じわじわと取り扱い曲が増えてきているのはわかるのだが、こういうふうにバラ買いするのに適している“どマイナー”なナツメロとか、子供のころに買えなかったアニソンとか、あ、いい曲だなと思いつつ、なんとなく買い逃していたり、特定の曲は好きだがアルバム買うほどには思い切れずにいたような曲とか、そういうおれの欲しいのがなかなか増えない。やはりこうした販売形態が最大限に威力を発揮するのは、むちゃくちゃにマニアックな領域だと思うのだがなあ。

 どうして、ちゃんちゃこの「空飛ぶ鯨」がないのだ、梅まつりの「北山杉」がないのだ、ゴーバンズの「リボンの騎士」がないのだ、ヒカシューの「ガラスのダンス」がないのだ、葵三音子の「哀愁」(『必殺仕置屋稼業』)がないのだ、「緊急指令10-4・10-10」がないのだ、「ときめきトゥナイト」がないのだ、「チンパン探偵ムッシュバラバラ」がないのだ、「クレクレタコラ」がないのだ、「ムシムシ大行進」がないのだ、「ものしり館」がないのだ!? ぬるい。まだまだなまぬるい。iTMS は、爺さん婆さんのためのマニアックなナツメロを揃えるべきである。

 ついでにぼやいておくと、シュガーもない! どうも最近はSugar と言えば、Zone の抜けたニッチを埋めるために現れたような小娘四人組を指すらしいが、いくら一発屋だったからって(いやまあ、シュガーは二発屋くらいだと思う)、一応は日本歌謡史に残るヒットを持つグループの名前を、二十年やそこらくらいしか経っていないのに、そのまま使うのはいかがなものか。さらについでに言うと、Exile と言えば、Kiss You All Over の Exile に決まっているのであって、近年日本で唄い踊っている洋風一世風靡セピアみたいな連中は新参者じゃ。ええ、こういうことを言い出したら立派な爺いですとも。げほげほ。

 とはいえ、葉月里緒菜(当時)のアルバム(!)が 日本のiTMS に最初から入っていたのには仰天した。どうして、こんなところだけ不自然にマニアックなのだ? というか、これはマニアックなんてものではない。ゲテモノだ。おれは女優・葉月里緒奈をこよなく愛する者であるが、歌だけはけっして唄わせてはいけない。この世のものとは思われぬほどなのである。“音程に不自由な人”というか“musically handicapped”というか、人前で唄わせること自体が、葉月里緒奈の人権侵害になりそうなほどだ。これほど美貌に似つかわしくない音痴は、おれはほかには酒井和歌子しか知らない。とかいいながら、そのうちその希少価値を評価して、アルバムごと衝動買いしてしまうかもしれないが……。まあ、古本屋で言えば、百円均一のワゴンから、絶対に読みはしないがなぜか持ってはおきたいと衝動買いしてしまうような感じか。

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2005年8月18日 (木)

終戦記念日の『ブラック・ジャック』

 夏休みだもんだから、ひさびさに『ブラック・ジャック』をリアルタイムで観る。今回のエピソードは、「戦争はなおも続く」(原題同じ)。むろん放映日を意識した手塚眞のメッセージだろう。

 今回のは、さすがにいつもと少し処理のしかたがちがう。原作は往々にして救いのない終わりかたをするため(そこにヒューマニズムの蜘蛛の糸にすがらざるを得ない人間というものへの一縷の望みと救いがあるのだ――なんてことは子供にはちと難しい)、このアニメシリーズでは、相当わかりやすい希望を感じさせるエンディングに変えていることが多いのだが、今回ばかりは、かなり絶望的な重いものを子供の視聴者の前にあえて投げ出している。原作では、BJが治した青年は戦死してしまうのだが、今回のアニメでは戦場に赴くところで終わっている。これがこの時間帯の縛りとの精一杯の妥協というところだろう。どのみち、子供の視聴者だって、この青年が無事帰ってくるとは思うまい。無事帰ってきたのだとしたら、何人もの人を殺して帰ってくるのだと思うだろう。この終えかたでも、青年が戦死するのとさして重みは変わらない。

 現代の子供向けに、小賢しくわかりやすく薄めて流すということが、このテーマばっかりはできないのだ。なぜなら、大人も回答を持っていないから。少なくとも手塚眞の良心は、子供向けだからといって、これ以上に砂糖をまぶしたものを与えることを許さなかったということだろう。手塚眞は、手塚治虫の遺産を伝える任を負うことができるアーティストに立派に育っている。手塚眞がいじくりまわすのなら、安心して手塚作品を委ねられるというものである。

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2005年8月15日 (月)

ファブリーズ

 ファブリーズのCMの露出が異様に高い。一日に何度観るやらわからない。いやまあ、うちもファブリーズにはお世話になっているし、水沢螢のあの学級委員然とした妙な“しっかり感”もなかなか好きなのだが、「クエスチョンのネタはどこだろう?」とついついスーパーひとしくんを探してしまう条件反射がまだ抜けていないのは困ったもんである。

 まあ、あれは水沢螢だからいいので、もし竹内海南江がファブリーズのCMに起用されていたら、じつに慌しいだろうなあ。いや、竹内海南江、好きだけどね、でも、慌しい。おれみたいな、基本的にエネルギーレベルの低い人間は、ああいう人がそばにいるだけで疲れてしまいそうなのである。あの人がファブリーズ持つと、熱帯のどこぞの部族にふるまわれたコウモリやらヘビやらにふりかけて貪り食ったり、「布が臭う」とミイラにふりかけてみたり、「むさくるしい」と吉村作治にふりかけたりしそうである。

 でも、竹内海南江や水沢螢を目にすると、とても羨ましい。おれにも、あれだけあちこち飛び回るエネルギーと健康体があればなあと思うのである。むかしは、兼高かおるって人がいたんだけどね。

 それはともかく、ファブリーズってのは、あの霧吹き様の容器がキモだと思うのだな。ファブリーズを噴射するという行為そのものに、えもいわれぬ快感がある。だもんだから、ついつい多めにあちこちに噴射してしまう。なんかこう、快感中枢への電気刺激スイッチを叩き続ける実験台のネズミのようだ。ファブリーズ噴射中毒になりそうである。あれだけよくできた霧吹きって、なかなかないと思うんだよな。

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日本語の「セレブ」の怪

 『とくダネ!』観てたら、杉田かおるを起用した厚生労働省の禁煙呼びかけポスターが問題になっているという話。

杉田かおる 離婚してもセレブ?
http://daily.jp/newsflash/2005/08/13/183403.shtml

 どうも、日本語化した「セレブ」は、celebrity や celeb とは相当ちがう意味になってしまっているようだ。いつのまにか、「金持ちでなければならない」という条件がついてしまっているから、こういう奇妙なことを言い出すやつが現われる。だいたいこの、「セレブ」って軽佻浮薄な言いまわしが好かん。おれに軽佻浮薄だと言われたくはなかろうが、「セレブ」なる日本語の気色悪さは、以前日記に書いたので、ご用とお急ぎでない方はご参照ください。

 celebrity って、単に名が通っている人ってよりは、ゆえあって有名である人、つまり、名に見合う才能や功績などがあって有名である人、名声が高い人を指すのだと思うがどうか。いやまあ、名家の生まれだから celeb ってのもアリだが、それは金持ちだからというのがメインの理由じゃなくて、名家が名家であるゆえんの noblesse oblige を背景に見ているから、人はそう呼ぶのだろう。金持ちだというのは、確率的に高い付帯条件であるにすぎず、必要条件ではない。清貧の celeb もアリだろう。

 そういう意味で、女優として長いキャリアと立派な実績を持ち、評価も高く、ゆえに名も通っている杉田かおるは、最初から充分に celeb だと思うがね。むしろ、鮎川某のほうこそが“単なる金持ち”であって、celeb ではないのではなかろうか。ついでに言うと、叶姉妹のどこが celeb なのか、少なくともおれにはさっぱりわからない。あれもただの金持ちじゃないの?

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2005年8月10日 (水)

もうひとつ、腹立つことを思い出した

 大仁田厚についてだけは、ひとことぼやいておかねば。なんだ、あのザマは!? ファイアーせんかー!! おまえを議員にしてくれた人々の票をドブに捨ておってからに。あんな腰抜けだとは思わなんだわ。逝ってよし。逝って「命を無駄遣いして申しわけありませんでした」と橋本真也に詫びてこい。こんな局面で棄権するなど、亀井静香にも劣るわ。けっ。

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2005年8月 9日 (火)

ひさびさに選挙が楽しみだなあ

 さーて、今度の選挙は面白いぞう。ま、面白いのはいいのだが、手前はどこに入れるかがこれまた悩ましい。もしかしたら、おれは生まれて初めて自民党に入れるかもしれんし、ロングショットで賭けるつもりで民主党に入れることになるかもしれん。自民党や民主党に喝を入れるつもりで共産党に入れるかもしれん。その三つ以外の選択肢は、おれにはない。

 すぐに死ぬからあとのことなどどうでもいいであろう綿貫やら、仮に共産党が強くなったら共産党の靴を舐め社民党が強くなったら社民党に尻の穴を差し出すに決まっている亀井やらのいる党には、天地がひっくり返ったって入れないだろう。それだけはもう、絶対にたしかなのである。

 それにしても、民主党は漁夫の利がどうのと言われているが、論理的には絶対に不利なのである。民主党が郵政民営化反対と“暫定的に”言っているのは、反小泉色を出してわかりやすくするためであって、ゆえに民主党は小泉純一郎に依存しているのである。まかりまちがってうまく政権を取ったとしたら、遅かれ早かれ郵政民営化を言い出す(か、その賛否によって分裂する)に決まっているので、結局、郵政民営化が争点になっているかぎりは、あえて民主党を選ぶ理由が見当たらない。だもんだから、岡田代表は懸命に郵政民営化の賛否の土俵に乗らないような発言を繰り返しているけれども、じゃあ、民主党はこの難しい時期に短期間で成果を上げ得る政党かというと、どうもそんな気はしない。郵政民営化というたったひとつの事案への賛否のみを以て、あまりにもわかりやすい解散総選挙が行なわれるなんてことはそうそうなかったろうから、フリップフロップ解散(とおれは呼びたい)が打たれた時点で、民主党はロジックで詰められてしまっているも同然だ。少なくとも今回の選挙では、郵政民営化に賛成するわけにはいかないのだから。民主党の本音としては、「おいおい、そんなわかりやすい選挙をするんじゃない!」ってところなんじゃなかろうか。

 あまりにもわかりにくいことばかりの世界に、あまりにもわかりやすいやつがひょっこり現れると、こんなにも混乱して面白いとは、いやあ、長生きはするもんである。

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どこか難しいところでもあるのでしょうか?

 郵政を民営化したいとずっと言っている政治家が目の前におって、それではとその政治家を担いで党の総裁にして、総裁が郵政を民営化しようとしたら反対し、衆議院を解散したらけしからんと怒る……というさっぱりわけのわからん輩どもがおるみたいだが、はっきり言って、アホである。このアホどもは、自由民主党などという大それた名前の党のルールに則って自分たちが民主的に党内の選挙で決めたはずの総裁を捉まえて、しばしば「独裁者」だなどと罵ったりする。わけがわからん。自由民主党というのは、独裁者が総裁になれてしまう程度の稚拙な仕組みになっているのか?

 最初からやると言うておることをやろうとしているだけのごくごく単純な男のまわりで、その裏をかこうとしたり裏の裏をかこうとしたり裏の裏の裏の裏のそのまた裏をかこうとしたりしているややこしい連中だけが右往左往しているようにしか見えん。わからん。さっぱりわからん。


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2005年8月 6日 (土)

生人に口あり

 いま、コンビニ弁当をゆっくり食いながら酒を飲み、『朝まで生テレビ』を観ている。この前もやってたが、戦争に行ってた老人たちから、いまのうちにいろんな話を聴いておこうという企画だ。不毛な議論のようなものをやっているいつもの朝生よりも、よっぽど面白い。

 七三一部隊で人体実験やってたという人が出てきた。話しぶりは淡々としてゆっくりだが、とてもしっかりしている。やはり頭脳明晰な人なのだろう。生の証言だけに迫力がある。いやあ、こういう人たちが存命のあいだに、もっともっとテレビでしゃべらせろよ。なんなら、専用チャンネルを作って、年寄りがかわるがわる戦争体験を話すようにしてはどうか。

 いつもなら、『探偵!ナイトスクープ』の録画を観ているころだが、これはまたあとで観よう。今日の朝生は見応えがあるぞ。


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2005年8月 4日 (木)

情報戦の極意

 「裏の裏は、表ですよ」と桂城少尉は言った。「情報戦というのは、覚悟さえできていれば単純なものなんだ」

 

  ―― 神林長平 『グッドラック―戦闘妖精・雪風』 ――

 けだし、名言である。最近の政局を見ていると、非常にしばしばこの台詞を思い出す。覚悟のできていない連中は、自分では風を読んでいるつもりで、風に翻弄されているだけなのだ。なあ、亀井静香。


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2005年8月 3日 (水)

茶葉を読む

 最近、ちょっと気になるのが「茶葉」。「生茶」(キリン)のCMでは「ちゃば」と読んでいるが、「お〜いお茶」(伊藤園)のCMでは「ちゃよう」と読んでいる。コスモノートとアストロノートみたいに、とにかく相手の使っている言葉を使いたくないという対抗心から、わざとちがえているのか、どちらかが正しいのか? 正しかろうがまちがっていようが、結局、多いほうが強いしねえ。どっち派が多いのかな?

 そもそも、あんまり「茶葉」なんて言葉を使う状況に置かれないのだけど、おれは「ちゃば」って言うかなあ。ちゃばちゃばちゃばちゃばー、ちゃばちゃばちゃばちゃばー、ちゃばちゃばやっ、どぅー、ちゃばちゃばっ、ちゃばちゃばやっ、どぅー、ちゃばちゃばっ、るーるーるーるー。

 明日は大阪、よみうりテレビ。


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2005年8月 2日 (火)

機械への愛

 おれは iPod ユーザじゃないけど、わかるっ、わかるぞっ、この感覚。

iPodやPDAを「愛しすぎる」人々
http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20050802201.html

 さすがに「コンピュータによって性的に興奮」するところまではいかないが(「モニタに映るものによって」ならわかるけど)、たしかにおれは美しい機械を形容するとき、しばしば「セクシー」だと言う。性的なものとどうちがうのだと言われると、ほんとうにちがうと言い切る自信はないなあ。


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