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2005年4月30日 (土)

本音と建前とコンプライアンス

 死人に口なしだから、なんとも確認のしようがないわけだけれども、たぶんおれ以外にも同じようなことを考えた人がいるだろうと思うので、一応、書いておこう。

 いや、例の脱線事故だが、一種の“無理心中”であった可能性も皆無とは言えないのではないか。あの運転士は、前の駅でオーバーランした時点でかなりパニクっていて、裏技のオーバースピード状態からあのカーブに差し掛かるとき、「なあに、70キロにまで落とさなくとも、そんなに簡単に脱線するものか。正確には知らないが、マージンが見込んであるはずだ。もしも脱線したとしても、もう、それはそれでかまうものかという怖ろしい心理状態になったのではあるまいか。つまり、未必の故意による心中だ。ペナルティの“日勤教育”とやらでノイローゼになり自殺した運転士も過去にいたそうであるから、尋常な精神状態でいられぬストレスを受ければ、人間、瞬間的にそれくらいのことは考えそうである。

 あのカーブで脱線する速度だって、JR西日本は事故のあとににわか計算したのだ。しかもそれすら、人が乗っていないとしてという、ふざけた条件での甘い計算だった。もし――もし、制限速度いうものにちゃんとした科学的・工学的な意味があり、伊達や酔狂で定めているわけではないと運転士が考えるに足る企業風土があれば、ことによると、「ちょっとくらい超えても大丈夫」という発想にはなりにくいだろう。「“みんな”やっていることだから、大丈夫なのだ」という考えかたが常態になっていると、決めごとというのは建前であって“ほんとうはちがう”と思い込んでしまいがちである。たしかに、建前だけの決めごとも多すぎるんだが、確固たる理由のある決めごとだって少なくないのだ。そこいらの区別がつかなくなってしまっていたことが、なんとも怖ろしい……というふうにおれは想像してみているのだが、まったく死人に口なし、確かめようがない。

 こう考えてみると、今回の事故は、コンプライアンスの問題でもあり得るのかもしれない。もし国土交通省が、現実的な条件下での制限速度計算を義務付け、それに多少のマージンを見込んで制限速度を定めさせていたとしても、「決めごとはどうせ建前」とみなが思っている組織に対しては、なんの効果もなかったろう。

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