中尊寺ゆつこも
1962年生まれだったのか。とくにファンだというわけでもないのだが、同い年の人間にこうも早く死なれるとなあ、やりきれんなあ。
そういえば、ナンシー関も1962年生まれなんだよなあ。身体には気をつけねば……と言いつつ、煙草に火を点けるおれであった。死ぬときゃ死ぬんだ。
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1962年生まれだったのか。とくにファンだというわけでもないのだが、同い年の人間にこうも早く死なれるとなあ、やりきれんなあ。
そういえば、ナンシー関も1962年生まれなんだよなあ。身体には気をつけねば……と言いつつ、煙草に火を点けるおれであった。死ぬときゃ死ぬんだ。
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買いもののおつりに、樋口一葉の五千円札が初めてまわってきた。そもそも一万円を崩すような買いものをあまりしないため、いまごろ来たわけだ。色が特徴的でわかりやすいが、なんだか頼りなくて、それこそ偽札みたいである。むかしのお札は、大きくてどしっとしていて、いかにもお札という感じだったのだがなあ。ま、小さいほうが便利だけどね。
おれは思うのだ。いま、まさにこの瞬間、日本のどこかでこのような会話が交わされているのではないかと――
「新しい五千円札って誰だったっけ?」
「えーと……なんとか一葉」
「板垣……じゃないな。新渡戸……でもない」
「……伊藤?」
「それそれ。伊藤一葉」
「ああ、そうそう、伊藤一葉だ」
この件について、なにかご質問はございませんか?
あーっ、耳がでっかくなっちゃった、ってそれはちがうそれは。
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っていったい誰? と思った人が少なからずいると思うのだ、初めて「章子怡」(チャン・ツィイー)という名を見たときに。落ち着いてよく見ると全然ハマグリじゃないけど、おれには一瞬そう見えたんである。
そのうち、女・馳星周みたいな「怡章子」という作家が登場するのではないか、いや、もしかしたらすでにどこかにいるのではないか――とググってみても、まだいないみたいだ。いまがチャンスだ、ってなんの?
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偽札の自信作を賽銭箱に投げ入れ、そのあとどのくらいのご利益が来るかで出来栄えを評価している求道者がおってもおもろいのではなかろうか。「うーむ、おれはまだまだだ」とか。神様を騙せたら一人前というわけだ。なんとなく、完全な人工生命の創造とかに挑む科学者っぽいメンタリティーかも。せこい金儲けはもちろん、社会秩序の紊乱や転覆なんぞにはなーんの興味もなく、ひたすらホンモノ以上にホンモノな(?)紙幣の創造にのみ情熱を傾ける偽札求道者……。そういうやつなら、ちょっと許せる気がするな。
となると、偽札検査官との攻防なんてのも、けっこう映画的でイケそうだぞ。「君は砂漠を歩いている。足元に一枚の一万円札が裏返ってもがいていて……」
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……ってのをなんとなく思いついたり。何度も言っていると、妙に自然な気がする。しませんかそうですか。
いやそれはともかく、親不知を抜いたばかりで酒が飲めないので、ひさびさに超低アルコールビールの「BARBICAN」を買ってきて、晩飯食いながら飲んだ。むかーし発売されたころに一度飲んだことがあるだけだけど、これって、以前よりうまくなってないか? 初めて飲んだとき、なーんだこれはやっぱりビールとは雲泥の差だなあと思ったのをよく覚えているのだ。
が、待てよ。よく考えたら、おれは近年ビールなるものをあまり飲んでいない。ほとんど発泡酒だ。ひどいとき(?)は、エンドウマメのビールもどきを飲んだりする。要するに、おれの舌のほうが安物に適応してしまって、「BARBICANもけっこうビールらしいではないか」と感じるようになっただけのことかもしれないぞ。
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いやあ、NHK『ドイツ語会話』のナターシャさんは、いつ見てもええのー。とくに眼鏡バージョンがよい。この人、眼鏡かけてないと、つるんとしたソラマメみたいな顔でべつにどーということもないのだが、眼鏡をかけると別人のように顔が締まる。萌える。Sehr gut! Wunderbar! Prima!
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といっても、おれが抜いたわけではなく、おれのが抜かれたのである。年末から歯茎を腫らしておれを悩ませていた左の下の親不知が、ついに抜かれた。さいわい、ややこしいことにはならず、きれいにすぽーんと抜けた。記念にもらって帰ってきたくらいだ。
以前、左上の親不知を抜いたときには、もらって帰るどころではなかった。粉々だったからだ。金属のヘラのようなものでガツンガツンガツンッと、もはや抜くというより叩いて砕く、キャシャーンがやらねば誰がやる状態であった。
まだ口の中でずっと血の味がしていて、噛み合わせたときに顎のすわりが悪い。上下の歯が、新しい状態ではどう噛み合ったらよいかとまどっているような感じ。まあ、そのうち脳が微調整するだろう。
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ふだんの土日のほうがよっぽどゆっくりできるではないか。もう正月はこりごりだ(っつっても、来年もやってくるわけだが)。ああ、明日から会社か。ほんと、せわしないよなあ。
○今回の年末年始でよかったこと・その1
・お笑いがたくさん観られた。
○今回の年末年始で不快だったこと
・あちこちに細木数子とかいうなんの藝もない詐欺師が現れては、思いつきのままにエラそうなことをほざいていた。公共の電波であんなものを流す放送局の見識を疑う。テレビ朝日はえらい。長井秀和は正しい――「細木は占いをやれっ!」 職業に貴賎はないというが、おのれがたかが占い師(という看板のセラピスト)であるとわきまえていないやつら、占い師としての社会への貢献のしかたをはきちがえているやつらを、おれは占い師という職業人だとは認めない。なにやら権威のある言説であるかのように好き勝手をほざいて世間を惑わす不逞の輩にすぎない。その中でも細木の類は、言葉の暴力団であり、詐欺師である。
○今回の年末年始でよかったこと・その2
・赤江珠緒アナが全国ネットの正月番組によく出ていた。関西人として嬉しい。某不倫アナ万歳である。なにが幸いするかわからない。まあ、朝日放送のローカル番組にタマちゃんが出てこないのは少し寂しいが、せっかくのチャンスは大きくモノにしてほしいものだ。テレビ朝日、朝日放送えらい。
なんだ、結局、テレビの話ばっかりかよ。
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「おじいさん、そういえば、高橋圭三が出てきませんね」
「最近はテレビもみんな若い人向けになっとるからのう。年寄りの司会じゃいかんのじゃろう。まあ、しかたないことじゃ、ばあさんや」
「染之助・染太郎はどうしたんでしょうね」
「お笑いも、なにやら横文字名前の若手ばっかりになっとるな。どうしてトリにいとこい師匠が出てこんのじゃ」
「明日はきっとハナ肇の銅像が見られますよ」
「おお、そうじゃな。ハナ肇の銅像じゃな」
「めでたいめでたい」
「めでたいめでたい」
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